のである。此《かく》の如き漢文はやがて吾々が小学校で習つた仮名交《かなまじ》りの紀行文に終りを止《とど》めて、其の後は全く廃滅に帰してしまつた。時勢が然らしめたのである。漢文趣味と戯作趣味とは共に西洋趣味の代るところとなつた。自分は今日近代的文章と云はれる新しい日本文が恰《あたか》も三十年昔に、「東京新繁昌記」に試みられた奇態な文体と同様な、不純混乱を示してゐはせぬかと思ふのである。かの「スバル」一派を以て、其の代表的実例となした或る批評の老大家には、青年作家の文章が丁度西洋人の日本語を口真似する手品使ひの口上《こうじやう》のやうに思はれ、又日本文を読み得る或外国人には矢張り現代の青年作家が日本文の間々《あひだ/\》に挿入する外国語の意味が、余りに日本化して使はれてゐる為め、折々《おり/\》は諒解されない事があるとか云ふ話も聞いた。大きにさうかも知れない。然しこの間違つた、滑稽な、鵺《ぬえ》のやうな、故意《こい》になした奇妙の形式は、寧《む》しろ言現《いひあらは》された叙事よりも、内容の思想を尚《なほ》能く窺ひ知らしめるのである。
新繁昌記第五編中、妾宅[#「妾宅」に傍点]と云ふ一節
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