竢t章《しゆんしやう》や其れより下《くだ》つて国貞《くにさだ》芳年《よしとし》の絵などを見るにつけ、それ等と今日の清方《きよかた》や夢二《ゆめじ》などの絵を比較するに、時代の推移は人間の生活と思想とを変化させるのみならず、生理的に人間の容貌と体格をも変化させて行くらしい。吾々は今日の新橋《しんばし》に「堀《ほり》の小万《こまん》」や「柳橋《やなぎばし》の小悦《こえつ》」のやうな姿を見る事が出来ないとすれば、其れと同じやうに、二代目の左団次《さだんじ》と六代目の菊五郎《きくごらう》に向つて、鋳掛松《いかけまつ》や髪結新三《かみゆひしんざ》の原型的な風采を求めるわけには行かない。古池に飛び込む蛙《かはづ》は昔のまゝの蛙であらう。中に玉章《たまづさ》忍ばせた萩《はぎ》と桔梗《ききやう》は幾代《いくだい》たつても同じ形同じ色の萩桔梗であらう。然し人間と呼ばれる種族間に於ては、親から子に譲らるべき其儘《そのまま》の同じものとては一ツもない。
 自分は時代の空気の人体に及ぼす生理的作用の如何を論じたい……。然し夏の日足は已に傾きかゝつて来た。涼しい風が頻《しきり》と植込の木《こ》の葉《は》をゆすつてゐる。縁先の鳳仙花は炎天に萎《しを》れた其《その》葉をば早くも真直に立て直した。古い小袖を元のやうに古い葛籠《つづら》にしまひ終つた家人は片隅から一冊|宛《づつ》古い書物を倉の中《なか》へと運んでゐる。自分は又来年の虫干を待たう。来年の虫干には自分の趣味はいかなる書物をあさらせる事であらう。



底本:「日本の名随筆36 読」作品社
   1985(昭和60)年10月25日第1刷発行
   1996(平成8)年4月20日第15刷発行
底本の親本:「荷風全集 第一三巻」岩波書店
   1963(昭和38)年3月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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