やうは、亭主の為めと夕暮の、涼風《すずかぜ》慕ふ夏場をかけ、湯治場《たうぢば》近き小田原《をだはら》で、宿場稼《しゆくばかせ》ぎの旅芸者、知らぬ土地故《ゆゑ》応頼《おうらい》の、転ぶ噂もきのふと過ぎ、今日《けふ》迄すましてゐられたが、東京にゐた其の頃は、毎度いろはの新聞で、仮名垣《かながき》さんに叩かれても、のんこのしやアで押通し、山猫《やまねこ》おきつと名を取つた、尻尾《しつぽ》の裂けた気まぐれ者さ。」なぞ云つてゐるのは既に好劇家の暗記してゐる処であらう。
 自分は黙阿弥劇の毒婦と又|白浪物《しらなみもの》の舞台面から「悪」の芸術美を感受する場合、いつもボオドレエルの詩集 F'leurs du Mal を比較せねばならぬと思ふ。無論両者の間には東西文明の相違せる色調に従つて、思想上の価値に高下の差別はあらうけれど、両者ともにデカダンス芸術の極致を示してゐる事だけは同じである。
 審美学者ギヨオは有名なる其の著述「社会学上より見たる芸術」の巻末に於て犯罪者の心理に関するロンブロゾ博士《はくし》の所論を引用して、悪人は一種恐しい虚栄心を持つてゐるもので、単に世間を恐怖させるため、或は世間一般をして己の名を歌はしむる為に人を殺す事がある。悪人の虚栄心は文学者や婦人のそれよりも更に甚《はなはだ》しい事を記載し、「殺人者の酔《ゑひ》」と題するボオドレエルの

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乃公《おれ》の女房《にようぼ》はもう死んだ。
乃公《おれ》は気随気儘の身になつた。
一文なしで帰つて来ても、
ガア/\喚《わめ》く嚊《かか》アがくたばつて、
乃公《おれ》は気楽にたらふく呑める。
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と云ふ詩なぞを掲《かか》げてゐるが、此れ等は何処となく、黙阿弥劇中に散見する台詞《せりふ》「今宵《こよひ》の事を知つたのは、お月様と乃公《おれ》ばかり。」また、「人間わづか五十年、一人殺すも千人殺すも、とられる首はたつた一ツ、とても悪事を仕出《しだ》したからは、これから夜盗、家尻切《やじりき》り……。」の如きを思ひ出させるではないか。
 ボオドレエルを始め西洋のデカダンスには必ず神秘的宗教的色彩が強く、また死に対する恐しい幻覚が現はれてゐるが、此れ等は初めから諦めのいゝ人種だけに、江戸思想中には皆無《かいむ》である。其の代《かはり》に残忍|極《きはま》る殺戮《さつりく》の描写
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