日ごとに烈しくなる風の響をききつつ光陰の早く去るのに驚いている。岡山にいたのは、その時には長いように思われていたが、実は百日に満たなかった。熱海の小春日和《こはるびより》は明るい昼の夢のようであった。
一たび家を失ってより、さすらい行く先々の風景は、胸裏に深く思出の種を蒔《ま》かずにはいなかった。その地を去る時、いつもわたくしは「きぬぎぬの別れ」に似た悲しみを覚えた。もう一度必ず来て見たいと期待しながら、去って他の地へ行くのである。しかしながら期待の実行は偶然の機会を待つより外はない。
八幡《やわた》の町の梨畠に梨は取り尽され、葡萄棚《ぶどうだな》からは明るく日がさすようになった。玉蜀黍《とうもろこし》の茎は倒れて見通す稲田の眺望は軟かに黄ばんで来た。いつの日にか、わたくしは再び妙林寺の松山に鳶《とんび》の鳴声をきき得るのであろう。今ごろ備中総社《びっちゅうそうじゃ》の町の人たちは裏山の茸狩《きのこがり》に、秋晴の日の短きを歎《なげ》いているにちがいない。三門《みかど》の町を流れる溝川《みぞがわ》の水も物洗うには、もう冷たくなり過ぎているであろう。
待つ心は日を重ね月を経るに従って、郷愁に等しき哀愁を醸《かも》す。郷愁ほど情緒の美しきものはない。長くわたくしが巴里《パリー》の空を忘れ得ぬのもこの情緒のなすところであろう。
巴里は再度兵乱に遭《あ》ったが依然として恙《つつが》なく存在している。春ともなればリラの花も薫《かお》るであろう。しかしわが東京、わが生れた孤島の都市は全く滅びて灰となった。郷愁は在《あ》るものを思慕する情をいうのである。再び見るべからざるものを見ようとする心は、これを名づけてそも何と言うべき歟《か》。
[#地から2字上げ]昭和廿一年十月草
底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月9日作成
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