人の身を投込む………。回想は歓喜と愁歎との両面を持つてゐる謎の女神であらう。
      ○
 七十になる日もだん/\近くなつて来た。七十といふ醜い老人になるまで、わたくしは生きてゐなければならないのか知ら。そんな年まで生きてゐたくない。と云つて、今夜眼をつぶつて眠れば、それがこの世の終だとなつたなら、定めしわたくしは驚くだらう。悲しむだらう。
 生きてゐたくもなければ、死にたくもない。この思ひが毎日毎夜、わたくしの心の中に出没してゐる雲の影である。わたくしの心は暗くもならず明くもならず、唯しんみりと黄昏《たそが》れて行く雪の日の空に似てゐる。
 日は必ず沈み、日は必ず尽きる。死はやがて晩かれ早かれ来ねばならぬ。
 生きてゐる中、わたくしの身に懐しかつたものはさびしさであつた。さびしさの在つたばかりにわたくしの生涯には薄いながらにも色彩があつた。死んだなら、死んでから後にも薄いながらに、わたくしは色彩がほしい。さう思ふと、生きてゐた時、その時、その場の恋をした女達、わかれた後忘れてしまつた女達に、また逢ふことの出来るのは瞑《くら》いあの世のさむしい河のほとりであるやうな気がしてくる。

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