の「湊の花」には、思ふ人に捨てられた女が堀割に沿うた貧家の一間に世をしのび、雪のふる日にも炭がなく、唯涙にくれてゐる時、見知り顔の船頭が猪牙舟《ちよきぶね》を漕いで通るのを、窓の障子の破れ目から見て、それを呼留め、炭を貰ふと云ふやうなところがあつた。過ぎし世の町に降る雪には必ず三味線の音色が伝へるやうな哀愁と哀憐とが感じられた。
小説「すみだ川」を書いてゐた時分だから、明治四十一二年の頃であつたらう。井上唖々さんといふ竹馬の友と二人、梅にはまだすこし早いが、と言ひながら向島を歩み、百花園に一休みした後、言問まで戻つて来ると、川づら一帯早くも立ちまよふ夕靄の中から、対岸の灯がちらつき、まだ暮れきらぬ空から音もせずに雪がふつて来た。
今日もとう/\雪になつたか。と思ふと、わけもなく二番目狂言に出て来る人物になつたやうな心持になる。浄瑠璃を聞くやうな軟い情味が胸一ぱいに湧いて来て、二人とも言合したやうに其儘立留つて、見る/\暗くなつて行く川の流を眺めた。突然耳元ちかく女の声がしたので、その方を見ると、長命寺の門前にある掛茶屋のおかみさんが軒下の床几に置いた煙草盆などを片づけてゐるのである。土間があつて、家の内の座敷にはもうランプがついてゐる。
友達がおかみさんを呼んで、一杯いたゞきたいが、晩くて迷惑なら壜詰を下さいと言ふと、おかみさんは姉様かぶりにした手拭を取りながら、お上んなさいまし。何も御在ませんがと言つて、座敷へ座布団を出して敷いてくれた。三十ぢかい小づくりの垢抜のした女であつた。
焼海苔に銚子を運んだ後、おかみさんはお寒いぢや御在ませんかと親し気な調子で、置火燵を持出してくれた。親切で、いや味がなく、機転のきいてゐる、かういふ接待ぶりも其頃にはさして珍しいと云ふほどの事でもなかつたのであるが、今日これを回想して見ると、市街の光景と共に、かゝる人情、かゝる風俗も再び見難く、再び遇ひがたきものである。物一たび去れば遂にかへつては来ない。短夜の夢ばかりではない。
友達が手酌の一杯を口のはたに持つて行きながら、
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雪の日や飲まぬお方のふところ手
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と言つて、わたくしの顔を見たので、わたくしも、
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酒飲まぬ人は案山子の雪見哉
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と返して、その時銚子のかはりを持つて来
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