毎夜連れ立って、ふけそめる本所《ほんじょ》の町、寺と倉庫の多い寂しい道を行く時、案外暖く、月のいい晩もあった。溝川の小橋をわたりながら、鳴き過る雁の影を見送ることもあった。犬に吠えられたり、怪しげな男に後をつけられて、二人ともども息を切って走ったこともあった。道端に荷をおろしている食物売《たべものうり》の灯《あかり》を見つけ、汁粉《しるこ》、鍋焼饂飩《なべやきうどん》に空腹をいやし、大福餅や焼芋に懐手をあたためながら、両国橋をわたるのは殆《ほとんど》毎夜のことであった。しかしわたくしたち二人、二十一、二の男に十六、七の娘が更《ふ》け渡る夜の寒さと寂しさとに、おのずから身を摺《す》り寄せながら行くにもかかわらず、唯の一度も巡査に見咎《みとが》められたことがなかった。今日、その事を思返すだけでも、明治時代と大正以後の世の中との相違が知られる。その頃の世の中には猜疑《さいぎ》と羨怨《せんえん》の眼が今日ほど鋭くひかり輝いていなかったのである。
その夜、わたくしと娘とはいつものように、いつもの道を行こうとしたが、二足三足踏み出すが早いか、雪は忽《たちま》ち下駄《げた》の歯にはさまる。風は傘を奪おうとし、吹雪《ふぶき》は顔と着物を濡らす。しかし若い男や女が、二重廻《にじゅうまわし》やコートや手袋《てぶくろ》襟巻《えりまき》に身を粧《よそお》うことは、まだ許されていない時代である。貧家に育てられたらしい娘は、わたくしよりも悪い天気や時侯には馴れていて、手早く裾《すそ》をまくり上げ足駄《あしだ》を片手に足袋《たび》はだしになった。傘は一本さすのも二本さすのも、濡れることは同じだからと言って、相合傘《あいあいがさ》の竹の柄元《えもと》を二人で握りながら、人家の軒下をつたわり、つたわって、やがて彼方《かなた》に伊予橋、此方《こなた》に大橋を見渡すあたりまで来た時である。娘は突然つまずいて、膝をついたなり、わたくしが扶《たす》け起そうとしても容易には立上れなくなった。やっとの事立上ったかと思うと、またよろよろと転びそうになる。足袋はだしの両脚とも凍りきって、しびれてしまったらしい。
途法《とほう》にくれてあたりを見る時、吹雪の中にぼんやり蕎麦屋《そばや》の灯が見えた嬉しさ。湯気の立つ饂飩の一杯に、娘は直様《すぐさま》元気づき、再び雪の中を歩きつづけたが、わたくしはその時、ふだん飲まない燗酒《かんざけ》を寒さしのぎに、一人で一合あまり飲んでしまったので、歩くと共におそろしく酔が廻って来る。さらでも歩きにくい雪の夜道の足元が、いよいよ危くなり、娘の手を握る手先がいつかその肩に廻される。のぞき込む顔が接近して互の頬がすれ合うようになる。あたりは高座《こうざ》で噺家がしゃべる通り、ぐるぐるぐるぐる廻っていて、本所だか、深川だか、処は更に分らぬが、わたくしはとかくする中《うち》、何かにつまずきどしんと横倒れに転び、やっとの事娘に抱き起された。見ればおあつらい通りに下駄の鼻緒《はなお》が切れている。道端に竹と材木が林の如く立っているのに心付き、その陰に立寄ると、ここは雪も吹込まず風も来ず、雪あかりに照された道路も遮《さえぎ》られて見えない別天地である。いつも継母に叱られると言って、帰りをいそぐ娘もほっと息をついて、雪にぬらされた銀杏返《いちょうがえし》の鬢《びん》を撫《な》でたり、袂《たもと》をしぼったりしている。わたくしはいよいよ前後の思慮なく、唯酔の廻って来るのを知るばかりである。二人の間に忽ち人情本の場面がそのまま演じ出されるに至ったのも、怪しむには当らない。
あくる日、町の角々に雪達磨《ゆきだるま》ができ、掃寄せられた雪が山をなしたが、間もなく、その雪だるまも、その山も、次第に解けて次第に小さく、遂に跡かたもなく、道はすっかり乾いて、もとのように砂ほこりが川風に立迷うようになった。正月は早くも去って、初午《はつうま》の二月になり、師匠むらくの持席《もちせき》は、常磐亭から小石川|指ヶ谷町《さすがやちょう》の寄席にかわった。そしてかの娘はその月から下座をやめて高座へ出るようになって、小石川の席へは来なくなった。帰りの夜道をつれ立って歩くような機会は再び二人の身には廻《めぐ》っては来なかった。
娘の本名はもとより知らず、家も佐竹とばかりで番地もわからない。雪の夜の名残は消えやすい雪のきえると共に、痕《あと》もなく消去ってしまったのである。
[#ここから2字下げ]
巷《ちまた》に雨のふるやうに
わが心にも雨のふる
[#ここで字下げ終わり]
という名高いヴェルレーヌの詩に傚《なら》って、もしもわたくしがその国の言葉の操《あやつ》り方《かた》を知っていたなら、
[#ここから2字下げ]
巷に雪のつもるやう
憂《うれ》ひはつもるわが胸に
[#ここで字下げ終わり]
あるいはまた
[#ここから2字下げ]
巷に雪の消ゆるやう
思出は消ゆ痕《あと》もなく
………………………
[#ここで字下げ終わり]
とでも吟じたことであろう。
底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング