の硝子窓《ガラスまど》を灰色にくもらせる事がある。
すると、忽《たちまち》あの鳩はどうしたろう。あの鳩はむかしと同じように、今頃はあの古庭の苔の上を歩いているかも知れない……と月日の隔てを忘れて、その日のことがありありと思返されてくる。鳩が来たから雪がふりましょうと言われた母の声までが、どこからともなく、かすかに聞えてくるような気がしてくる。
回想は現実の身を夢の世界につれて行き、渡ることのできない彼岸を望む時の絶望と悔恨との淵に人の身を投込む……。回想は歓喜と愁歎との両面を持っている謎の女神であろう。
○
七十になる日もだんだん近くなって来た。七十という醜い老人になるまで、わたくしは生きていなければならないのか知ら。そんな年まで生きていたくない。といって、今夜眼をつぶって眠れば、それがこの世の終だとなったなら、定めしわたくしは驚くだろう。悲しむだろう。
生きていたくもなければ、死にたくもない。この思いが毎日毎夜、わたくしの心の中に出没している雲の影である。わたくしの心は暗くもならず明《あかる》くもならず、唯しんみりと黄昏《たそが》れて行く雪の日の空に似ている。
日は必ず沈み、日は必ず尽きる。死はやがて晩《おそ》かれ早かれ来ねばならぬ。
生きている中《うち》、わたくしの身に懐《なつか》しかったものはさびしさであった。さびしさのあったばかりにわたくしの生涯には薄いながらにも色彩があった。死んだなら、死んでから後にも薄いながらに、わたくしは色彩がほしい。そう思うと、生きていた時、その時、その場の恋をした女たち、わかれた後忘れてしまった女たちに、また逢うことの出来るのは瞑《くら》いあの世のさむしい河のほとりであるような気がしてくる。
ああ、わたくしは死んでから後までも、生きていた時のように、逢えば別れる、わかれのさびしさに泣かねばならぬ人なのであろう……。
○
薬研堀《やげんぼり》がまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも、旧米沢町《もとよねざわちょう》の河岸まで通じていた時分である。東京名物の一銭蒸汽の桟橋につらなって、浦安《うらやす》通いの大きな外輪《そとわ》の汽船が、時には二|艘《そう》も三艘も、別の桟橋につながれていた時分の事である。
わたくしは朝寐坊むらくという噺家《はなしか》の弟子にな
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