去来《きょらい》東花坊《とうかぼう》の如き皆然りで、独《ひとり》西鶴のみではない。試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃《せわじょうるり》とを比較せよ。西鶴は市井《しせい》の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させている。一は記事に過ぎないが一は渾然《こんぜん》たる創作である。ここに附記していう。岡鬼太郎《おかおにたろう》君は近松の真価は世話物ではなくして時代物であると言われたが、わたくしは岡君の言う所に心服している。
 西鶴の価《あたい》を思切って低くして考えれば、谷崎君がわたくしを以て西鶴の亜流となした事もさして過賞とするにも及ばないであろう。
 江戸時代の文学を見るにいずれの時代にもそれぞれ好んで市井の風俗を描写した文学者が現れている。宝暦以後、文学の中心が東都に移ってから、明和年代に南畝《なんぽ》が出で、天明年代に京伝《きょうでん》、文化文政に三馬《さんば》、春水《しゅんすい》、天保に寺門静軒《てらかどせいけん》、幕末には魯文《ろぶん》、維新後には服部撫松《はっとりぶしょう》、三木愛花《みきあいか》が現れ、明治廿年頃から紅葉山人《こうようさんじん》が
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