ば満腔《まんこう》唯感謝の情を覚ゆるばかりである。知らぬ他国で偶然同郷の人に邂逅《かいこう》したような心持がしたのである。
かつて大正十五年の春にも正宗君はわたくしの小説|及《および》雑著について批評せられたことがあった。その時わたくしは弁駁《べんばく》の辞をつくったが、それは江戸文学に関して少しく見解を異にしているように思ったからで、わたくしは自作の小説については全く言う事を避けた。自作について云々するのはどうも自家弁護の辞を弄するような気がして書きにくかった故である。わたくしが個人雑誌『花月』の誌上に、『かかでもの記』を掲げて文壇の経歴を述べたのは今より十五、六年以前であるが、初は『自作自評』と題して旧作の一篇ごとに執筆の来由を陳《の》べ、これによって半面はおのずから自叙伝ともなるようにしたいと考えた。しかしそれもあまり自家吹聴に過るような気がして僅に『かかでもの記』三、四回を草して筆を擱《お》いた。
谷崎君は、さきに西鶴と元禄時代の文学を論じ、わたくしを以て紅葉先生と趣を同じくしている作家のように言われた。事の何たるを問わず自分の事をはっきり自分で判断することは至難である。谷
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