貸したのである。今日《こんにち》築地《つきぢ》の河岸《かし》を散歩しても私ははつきりと其の船宿の何処《いづこ》にあつたかを確めることが出来ない。わづか二十年|前《ぜん》なる我が少年時代の記憶の跡すら既にかくの如くである。東京市街の急激なる変化は寧《むし》ろ驚くの外《ほか》はない。
大川筋《おほかはすぢ》一帯の風景について、其の最も興味ある部分は今述べたやうに永代橋河口《えいたいばしかこう》の眺望を第一とする。吾妻橋《あづまばし》両国橋《りやうごくばし》等の眺望は今日《こんにち》の処あまりに不整頓にして永代橋《えいたいばし》に於けるが如く感興を一所に集注する事が出来ない。之《これ》を例するに浅野《あさの》セメント会社の工場と新大橋《しんおほはし》の向《むかう》に残る古い火見櫓《ひのみやぐら》の如き、或は浅草蔵前《あさくさくらまへ》の電燈会社と駒形堂《こまがただう》の如き、国技館《こくぎかん》と回向院《ゑかうゐん》の如き、或は橋場《はしば》の瓦斯《がす》タンクと真崎稲荷《まつさきいなり》の老樹の如き、其等《それら》工業的近世の光景と江戸名所の悲しき遺蹟とは、いづれも個々別々に私の感想を
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