て営業の事務一切を掌る支配人が一人、其助手が一人あった。数え来れば少からぬ人員となる。是の人員が一団をなして業を営む時には、ここに此の一団固有の天地の造り出されるのは自然の勢である。同じ銀座通に軒を連ねて同じ営業をしていても、其店々によって店の風がちがって来ることになる。店の風がちがえば客の種類もちがって来る。ここに於てか世態観察の興味は一層加わるわけである。
凡物にして進化の経程を有せざるはない。市井の風俗を観察する方法にも同じく進化の道がある。江戸時代に在っては山東京伝は吉原妓楼の風俗の家毎に差別のあった事を仔細に観察して数種の蒟蒻本を著した。傾城買四十八手傾城※[#「金+攜のつくり」、161−12]の如きは其の冠たるものであろう。京伝等江戸の戯作者の好んで為した市井風俗の観察は多く支那の艶史より学び来ったものである。されば寛政以降漢文の普及せらるるに及んで、寺門静軒は江戸繁昌記を著し、踵いで成島柳北は柳橋新誌を作った。京伝一派の蒟蒻本は文化年代に夙《はや》く其跡を絶っていたが、静軒の筆致を学ぶものは明治年間に至るも猶絶えず、服部撫松は柳巷新史を著し、松本万年は新橋雑記をつくり、
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