茶亭に引上げたものと思い、それと推測した茶屋に乱入して戸障子を蹴破り女中に手傷を負わせ、遂に三十間堀の警察署に拘引せられたという事であった。これを聞いて、僕は春浪さんとは断乎として交を絶ったのみならず、カッフェープランタンにも再び出入しなかった。尾張町の四辻にカッフェーライオンの開店したのも当時のことであったが、僕はプランタンの遭難以来銀座辺の酒肆には一切足を踏み入れないようにしていた。
光陰の速なることは奔輪の如くである。いつの間にか二十年の歳月が過ぎた。春浪さんも唖々さんも共に斉《ひと》しく黄泉《よみ》の客となった。二十年の歳月は短きものではない。世の中も変れば従って人情も変った。
大正十五年八月の或夜、僕は晩涼を追いながら、震災後日に日にかわって行く銀座通の景況を見歩いた時、始めて尾張町の四辻に近い唯《と》あるカッフェーに休んだ。それ以来僕は銀座通を通り過る時には折々この店に休んで茶を飲むことにした。
これにはいろいろの理由《わけ》があった。僕は十年来一日に一度、昼飯か晩飯かは外で食《くら》うことにしている。カッフェーの料理は殆ど口には入れられないほど粗悪であるが、然し僕は
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