二畳に阿久がいて、お銚子《ちょうし》だの煮物だのを運んだ。(略)さて当日の模様をざっと書いて見ると、酒の良いのを二升、そら豆の塩茄《しおゆで》に胡瓜《きゅうり》の香物《こうのもの》を酒の肴《さかな》に、干瓢《かんぴょう》の代りに山葵《わさび》を入れた海苔巻《のりまき》を出した。菓子折を注文して、それを長屋の軒別に配った。兄弟分が御世話になりますからとの口上を述べに何某が鹿爪《しかつめ》らしい顔で長屋を廻ったりした。すると長屋一同から返礼に、大皿に寿司を遣《よこ》した。唐紙《とうし》を買って来て寄せ書きをやる。阿久の三味線で何某が落人《おちうど》を語り、阿久は清心《せいしん》を語った。銘々の隠芸《かくしげい》も出て十一時まで大騒ぎに騒いだ。時は明治四十三年六月九日。
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この時代には電車の中で職人が新聞をよむような事もなかったので、社会主義の宣伝はまだ深川の裏長屋には達していなかった。竹格子《たけごうし》の窓には朝顔の鉢が置いてあったり、風鈴《ふうりん》の吊されたところもあったほどで、向三軒両鄰《むこうさんげんりょうどな》り、長屋の人たちはいずれも東京の場末に生れ
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