尾につけられた依田学海の跋を見れば明治十九年二月としてある。
 香亭雅談には又江戸時代の文人にして不忍池畔に居を卜したものの名を挙げて下の如くに言っている。「古ヨリ都下ノ勝地ヲ言フ者必先ヅ指ヲ小西湖ニ屈スルハ其山水ノ観アルヲ以テナリ。服部南郭、屋代輪池、清水泊※[#「さんずい+百」、第4水準2−78−45]、梁川星巌、深川永機等皆一タビ、跡ヲ湖上ニ寄ス。爾来文人韻士ノ之ニ居ル者鮮シトナサズ。」
 服部南郭の不忍池畔に住んだのは其文集について按ずるに享保初年の頃で、いくばくもなくして本郷に移り又芝に移った。南郭文集初編巻の四に即事二首篠池作なるものを載せている。其一に曰く「一臥茅堂篠水陰。長裾休[#レ]曳此蕭森。連城抱[#レ]璞多時泣。通邑伝[#レ]書百歳心。向[#レ]暮林烏無数黒。歴[#レ]年江樹自然深。人情湖海空迢※[#「二点しんにょう+帶」、145−11]。客迹天涯奈[#二]滞淫[#一]。」
 屋代輪池は幕府の右筆にして著名の考証家屋代大郎である。清水泊※[#「さんずい+百」、第4水準2−78−45]は和学者村田春海の門人清水浜臣で、此二人はいずれも大田南畝と時を同じくした人である
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