生。」云々
根津の娼楼八幡屋跡の温泉旅館は明治三十年頃には紫明館と称していた。その頃わたくしは押川春浪井上唖々の二亡友と、外神田の妓を拉して一夜紫明館に飲んだことを覚えている。四五輛の人力車を連ねて大きな玄関口へ乗付け宿の女中に出迎えられた時の光景は当世書生気質中の叙事と多く異る所がなかったであろう。根津の社前より不忍池の北端に出る陋巷は即《すなわち》宮永町である。電車線路のいまだ布設せられなかった頃、わたくしは此のあたりの裏町の光景に興味を覚えて之を拙作の小説歓楽というものの中に記述したことがあった。
明治四十二三年の頃鴎外先生は学生時代のむかしを追回せられてヰタセクスアリス及び雁と題する小説二篇を草せられた。雁の篇中に現れ来る人物と其背景とは明治十五六年代のものであろう。先生の大学を卒業せられたのは明治十七年であったので、即春の家主人が当世書生気質に描き出されたものと時代を同じくしているわけである。小説雁の一篇は一大学生が薄暮不忍池に浮んでいる雁に石を投じて之を殺し、夜になるのを待ち池に入って雁を捕えて逃走する事件と、主人公の親友が学業の卒《おえ》るを待たずして独逸に遊学する談
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