詩アリ。桓寛《かんかん》ガ『塩鉄論《えんてつろん》』ニ曰ク鄙儒《ひじゅ》ハ都士《とし》ニ如《し》カズト。信ズベシ矣。」とあり初学者よくよく読み味ひて前条おのれが言ふ所と照し見よかし。
一 わが日本の文化は今も昔も先進大国の摸倣によりて成れるものなり江戸時代の師範は支那なり明治大正の世の師とする所は西洋なり。然《さ》れば漢文欧文そのいづれかを知らざれば世に立《たち》がたし。両方とも出来れば虎に翼《つばさ》あるが如し。国文はさして要なけれどもしこれを知らんとせばやはり漢文|一通《ひととおり》の知識必要なり。本店の内幕《うちまく》を知れば支店の事はすぐわかる道理。大正現代の文学はその源《みなもと》一から十まで悉《ことごと》く西洋近世の文学にあり。
一 東京市中自動車の往復頻繁となりて街路を歩むにかへつて高足駄《たかあしだ》の必要を生じたり。古きものなほ捨つべきの時にあらず。日本現代の西洋摸倣も日本語の使用を法律にて禁止なし、これに代《か》ふるに欧洲語を以てする位の意気込とならぬ限りこの国の小説家漢文を無視しては損なり。漢字節減なぞ称《とな》ふる人あれどそれは社会一般の人に対して言ふ事にて小説家には当てはまらず。凡そ物事その道々によりて特別の修業あり。桜紙《さくらがみ》にて長羅宇《ながラウ》を掃除するは娼妓《しょうぎ》の特技にして素人《しろうと》に用なく、後門《こうもん》賄賂《わいろ》をすすむるは御用商人の呼吸にして聖人君子の知らざる所。豆腐々々と呼んで天秤棒《てんびんぼう》かつぐには肩より先に腰の工合《ぐあい》が肝腎《かんじん》なり。仕立屋となれば足の栂指《おやゆび》を働かせ、三味線引《しゃみせんひき》となれば茶椀の底にて人さし指を叩いて爪をかたくす。漢字は日本文明の進歩を阻害すといひたければいふもよし、在来の国語存するの限り文学に志すものは欧洲語と併せて漢文の素養をつくりたまへ。翻訳なんぞする時どれほど人より上手にやれるか物はためしぞかし。
一 小説といふ語はもと日本語にあらず、戯曲|院本《いんぽん》なぞいふも皆漢文より借り来《きた》れるもの。これだけにても日本の小説家たるもの欧洲語の外に漢文も少しはのぞいて置く必要あるべし。小説の語は張衡《ちょうこう》が『西京賦《せいけいふ》』に「小説九百本自虞初」〔小説 九百、本《もと》 虞初《ぐしょ》自《よ》りす〕といふに始り院本
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