想《れんそう》させるような、上等ならば紫檀《したん》、安ものならばニス塗の食卓を用いる事を許さないので、長火鉢の向うへ持出されるのは、古びて剥《は》げてはいれど、やや大形の猫足《ねこあし》の塗膳であった。先生は最初感情の動くがままに小説を書いて出版するや否や、忽《たちま》ち内務省からは風俗壊乱、発売禁止、本屋からは損害賠償の手詰《てづめ》の談判、さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の瑕《きず》に等しき悪名《あくみょう》が、今はもっけ[#「もっけ」に傍点]の幸《さいわい》に、高等遊民不良少年をお顧客《とくい》の文芸雑誌で飯を喰う売文の奴《やっこ》とまで成り下《さが》ってしまったが、さすがに筋目正しい血筋の昔を忘れぬためか、あるいはまた、あらゆる芸術の放胆自由の限りを欲する中《なか》にも、自然と備《そなわ》る貴族的なる形の端麗、古典的なる線の明晰を望む先生一流の芸術的主張が、知らず知らず些細《ささい》なる常住坐臥《じょうじゅうざが》の間《あいだ》に現われるためであろうか。(そは作者の知る処に非《あら》ず。)とにかく珍々先生は食事の膳につく前には必ず衣紋《えもん》
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