リガタリと妙に気力の抜けた陰気な音を響かす。その度々に寒さはぞくぞく襟元《えりもと》へ浸《し》み入る。勝手の方では、いっも居眠りしている下女が、またしても皿小鉢を破《こわ》したらしい物音がする。炭団《たどん》はどうやらもう灰になってしまったらしい。先生はこういう時、つくづくこれが先祖代々日本人の送り過越《すご》して来た日本の家の冬の心持だと感ずるのである。宝井其角《たからいきかく》の家にもこれと同じような冬の日が幾度《いくたび》となく来たのであろう。喜多川歌麿《きたがわうたまろ》の絵筆持つ指先もかかる寒さのために凍《こお》ったのであろう。馬琴《ばきん》北斎《ほくさい》もこの置炬燵の火の消えかかった果敢《はか》なさを知っていたであろう。京伝《きょうでん》一九《いっく》春水《しゅんすい》種彦《たねひこ》を始めとして、魯文《ろぶん》黙阿弥《もくあみ》に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒さと薄暗さにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ板木《はんぎ》を取壊《とりこわ》すお上《かみ》の御成敗《ごせいばい》を甘受していたのだと思うと、時代の思想はいつになっても、昔に代らぬ今の世の中、先生は形ばかり西洋模倣の倶楽部《クラブ》やカフェーの媛炉《だんろ》のほとりに葉巻をくゆらし、新時代の人々と舶来の火酒《ウイスキー》を傾けつつ、恐れ多くも天下の御政事を云々《うんぬん》したとて何になろう。われわれ日本の芸術家の先天的に定められた運命は、やはりこうした置炬燵の肱枕より外《ほか》にはないというような心持になるのであった。
[#7字下げ]三[#「三」は中見出し]
人種の発達と共にその国土の底に深くも根ざした思想の濫觴《らんしょう》を鑑《かんが》み、幾時代の遺伝的修養を経たる忍従棄権の悟《さと》りに、われ知らず襟《えり》を正《ただ》す折《おり》しもあれ。先生は時々かかる暮れがた近く、隣の家《うち》から子供のさらう稽古の三味線が、かえって午飯過《ひるめしす》ぎの真昼よりも一層|賑《にぎや》かに聞え出すのに、眠るともなく覚めるともなく、疲れきった淋しい心をゆすぶらせる。家《うち》の中はもう真暗になっているが、戸外《おもて》にはまだ斜にうつろう冬の夕日が残っているに違いない。ああ、三味線の音
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