《よる》の小雨《こさめ》のいと蕭条《しめやか》に海棠《かいどう》の花弁《はなびら》を散す小庭の風情《ふぜい》を見せている等は、誰でも知っている、誰でも喜ぶ、誰でも誘《いざな》われずにはいられぬ微妙な無声の詩ではないか。敢えて絵空事《えそらごと》なんぞと言う勿《なか》れ。とかくに芝居を芝居、画《え》を画とのみして、それらの芸術的情趣は非常な奢侈《しゃし》贅沢《ぜいたく》に非《あら》ざれば決して日常生活中には味われぬもののように独断している人たちは、容易に首肯《しゅこう》しないかも知れないが、便所によって下町風な女姿が一層の嬌艶《きょうえん》を添え得る事は、何も豊国《とよくに》や国貞《くにさだ》の錦絵《にしきえ》ばかりには限らない。虚言《うそ》と思うなら目にも三坪の佗住居《わびずまい》。珍々先生は現にその妾宅においてそのお妾によって、実地に安上りにこれを味ってござるのである。
[#7字下げ]九[#「九」は中見出し]
今の世は唯《ただ》さえ文学美術をその弊害からのみ観察して宛《さなが》ら十悪七罪の一ツの如く厭《いと》い恐れている時、ここに日常の生活に芸術味を加えて生存の楽しさを深くせよといわば、それこそ世を害し国を危くするものと老人連はびっくりするであろう。尤《もっと》も国民的なる大芸術を興《おこ》すには個人も国家もそれ相当に金と力と時間の犠牲を払わなければならぬ。万が一しくじった場合には損害ばかりが残って危険かも知れぬ。日本のような貧乏な国ではいかに思想上価値があるからとてもしワグナアの如き楽劇一曲をやや完全に演ぜんなぞと思立《おもいた》たば米や塩にまで重税を課して人民どもに塗炭《とたん》の苦しみをさせねばならぬような事が起るかも知れぬ。しかしそれはまずそれとして何もそんなに心配せずとも或種類の芸術に至っては決して二宮尊徳《にのみやそんとく》の教と牴触《ていしょく》しないで済むものが許多《いくら》もある。日本の御老人連は英吉利《イギリス》の事とさえいえば何でもすぐに安心して喜ぶから丁度よい。健全なるジョン・ラスキンが理想の流れを汲んだ近世装飾美術の改革者ウィリアム・モオリスという英吉利人の事を言おう。モオリスは現代の装飾|及《および》工芸美術の堕落に対して常に、趣味 〔Gou^t〕 と贅沢 Luxe とを混同し、また美 〔Beaute'〕 と富貴 Richesse
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