是非なさ……オット大変忘れたり。彼というは堂々たる現代文士の一人《いちにん》、但し人の知らない別号を珍々先生という半可通《はんかつう》である。かくして先生は現代の生存競争に負けないため、現代の人たちのする事は善悪無差別に一通りは心得ていようと努めた。その代り、そうするには何処か人知れぬ心の隠家《かくれが》を求めて、時々|生命《いのち》の洗濯をする必要を感じた。宿《やど》なしの乞食でさえも眠るにはなお橋の下を求めるではないか。厭《いや》な客衆《きゃくしゅ》の勤めには傾城《けいせい》をして引過《ひけす》ぎの情夫《まぶ》を許してやらねばならぬ。先生は現代生活の仮面をなるべく巧《たくみ》に被《かぶ》りおおせるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋《がくや》を必要としたのである。昔より大隠《たいいん》のかくれる町中《まちなか》の裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目的のために作られた彼が心の安息所であったのだ。
[#7字下げ]二[#「二」は中見出し]
妾宅は上《あが》り框《かまち》の二畳を入れて僅か四間《よま》ほどしかない古びた借家《しゃくや》であるが、拭込《ふきこ》んだ表の格子戸《こうしど》と家内《かない》の障子《しょうじ》と唐紙《からかみ》とは、今の職人の請負《うけおい》仕事を嫌い、先頃《さきごろ》まだ吉原《よしわら》の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具《ふるたてぐ》をそのまま買い取ったものである。二階の一間の欄干《らんかん》だけには日が当るけれど、下座敷《したざしき》は茶の間も共に、外から這入《はい》ると人の顔さえちょっとは見分かぬほどの薄暗さ。厠《かわや》へ出る縁先《えんさき》の小庭に至っては、日の目を見ぬ地面の湿《し》け切っていること気味わるいばかりである。しかし先生はこの薄暗く湿《しめ》った家をば、それがためにかえってなつかしく、如何にも浮世に遠く失敗した人の隠家らしい心持ちをさせる事を喜んでいる。石菖《せきしょう》の水鉢を置いた※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓《れんじまど》の下には朱の溜塗《ためぬり》の鏡台がある。芸者が弘《ひろ》めをする時の手拭の包紙で腰張した壁の上には鬱金《うこん》の包みを着た三味線が二挺《にちょう》かけてある。大きな如輪《じょりん》の長火鉢《ながひばち》の傍《そば》にはきまって猫が寝ている。襖《ふすま》を越した次
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