くと、車夫のくせに、四辻の事を十字街だの、それから約一丁先だのと言うよ。ちょいと向の御稲荷《おいなり》さまなんていう事は知らないんだ。御話にゃならない。大工や植木屋で、仕事をしたことを全部完成ですと言った奴があるよ。銭勘定《ぜにかんじょう》は会計、受取は請求というのだったな。」
唖々子の戯《たわむる》るる[#「戯《たわむる》るる」はママ]が如く、わたしはやがて女中に会計なるものを命じて、倶《とも》に陶然として鰻屋の二階を下りると、晩景から電車の通らない築地の街は、見渡すかぎり真白《まっしろ》で、二人のさしかざす唐傘《からかさ》に雪のさらさらと響く音が耳につくほど静であった。わたしは一晩泊って行くように勧めたが、平素健脚を誇っている唖々子は「なに。」と言って、酔に乗じて本郷の家に帰るべく雪を踏んで築地橋の方へと歩いて行った。
三
同じ年の五月に、わたしがその年から数えて七年ほど前に書いた『三柏葉樹頭夜嵐《みつかしわこずえのよあらし》』という拙劣なる脚本が、偶然帝国劇場女優劇の二《に》の替《かわり》に演ぜられた。わたしが帝国劇場の楽屋に出入したのはこの時が始めてである
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