淞《ウースン》の河口に入り、暫く蘆荻《ろてき》の間に潮待ちをした後、徐《おもむろ》に上海の埠頭《はとば》に着いた。父は官を辞した後《のち》商となり、その年の春頃から上海の或会社の事務を監督しておられたので、埠頭に立っていた大勢の人に迎えられ、二頭|立《だて》の箱馬車に乗った。母とわたくしも同じくこの馬車に乗ったが、東京で鉄道馬車の痩せた馬ばかり見馴れた眼には、革具《かわぐ》の立派な馬がいかにも好い形に見えた。馭者《ぎょしゃ》が二人、馬丁《ばてい》が二人、袖口《そでぐち》と襟《えり》とを赤地にした揃いの白服に、赤い総《ふさ》のついた陣笠《じんがさ》のようなものを冠っていた姿は、その頃東京では欧米の公使が威風堂々と堀端を乗り歩く馬車と同じようなので、わたくしの一家は俄《にわか》にえらいものになったような心持がした。
会社の構内にあった父の社宅は、埠頭《はとば》から二、三町とは離れていないので、鞭《むち》の音をきくかと思うと、すぐさま石塀に沿うて鉄の門に入り、仏蘭西《フランス》風の灰色した石造りの家の階段に駐《とま》った。
家は二階建で、下は広い応接間と食堂との二室である。その境の引戸を
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