われもない不安と恐怖とを覚えたのは、今よりして之を顧れば、其時代の空気には一味の哀愁が流れていた故でもあろう。この哀愁は迷信から起る恐怖と共に、世の革《あらたま》るにつれて今や全く湮滅し尽したものである。わたくし等が少年の頃には風の音鐘の響犬の声按摩の笛などが無限の哀愁を覚えさせたばかりではない。夜の闇と静寂とさえもが直に言い知れぬ恐怖の泉となった。之に反して、昭和当代の少年の夢を襲うものは抑《そもそ》も何であろう。民衆主義の悪影響を受けた彼等の胸中には恐怖畏懼の念は影をだも留めず、夢寐の間にも猶忘れざるものは競争売名の一事のみである。聞くところによれば現代の小学生は小遣銭を運動費となして、級長選挙の事に狂奔することを善事となしているというではないか。
 市中行賈の中、恰も雁の去る時燕の来るが如く、節序に従って去来するものは、今の世に在っても往々にして人の詩興を動かす。遅桜もまだ散り尽さぬ頃から聞えはじめる苗売の声の如き、人はまだ袷をもぬがぬ中早くも秋を知らせる虫売の如き、其他風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売の如き、いずれか俳諧中の景物にあらざるはない。正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれなくなったが、中元には猶お迎いお迎いの声を聞く。近年麻布辺の門巷には、春秋を問わず宿雨の霽《は》れる折を窺って、「竿竹や竿竹」と呼んで物干竿を売りに来るものがある。幾日となく降りつづいた雨のふと霽れて、青空の面にはまだ白い雲のちぎれちぎれに動いている朝まだき、家毎に物洗う水の音と、女供の嬉々として笑う声の聞える折から、竿竹売の田舎《ひな》びた太い声に驚かされて、犬の子は吠え、日に曝した雨傘のかげからは雀がぱっと飛び立つなど、江戸のむかしに雨の晴れた日|樋竹売《とよだけうり》の来たという其の頃の情景もおのずから思合される。
 薬を売り歩くものには、多年目に馴れた千金丹を売るもの、定斎の箱を担うものがある。千金丹を売るものが必手に革包を提《さ》げ蝙蝠傘をひらいて歩いたのは明治初年の遺風であろう。日露戦争の後から大正四五年の頃まで市中到処に軍人風の装をなし手風琴を引きならして薬を売り歩くものがあった。浅井忠の板下を描いた当世風俗五十番歌合というものに、「風ひきめまいの大奇薬、オッチニイ」とその売声《うりごえ》が註にしてある。此書は明治四十年の出版であるが、鍋焼温飩の図を出して、支那蕎麦屋を描いていない。之に由って観れば、支那そばやが唐人笛を吹いて歩くようになったのは明治四十年より後であろう歟《か》。
 支那蕎麦屋の夜陰に吹き鳴す唐人笛には人の心を動す一種の哀音がある。曾て場末の町の昼下りに飴を売るものの吹き歩いたチャルメラの音色にも同じような哀愁があったが、これはいつか聞かれなくなった。按摩の笛の音も色町を除くの外近年は全く絶えたようである。されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するもの、唯南京蕎麦売の簫《ふえ》があるばかりとなった。
 新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。
 その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るような興味を催すのは、都会に生れたものの通有する性癖であろう。されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道が塵塚談の如きは、今猶好事家必読の書目中に数えられている。是亦わたくしの贅するに及ばぬことであろう。
[#地から1字上げ]昭和二年十一月記



底本:「日和下駄 一名 東京散策記」講談社文芸文庫、講談社
   1999(平成11)年10月10日第1刷発行
   2006(平成18)年1月5日第7刷発行
底本の親本:「荷風全集 第十三巻」岩波書店
   1963(昭和38)年2月
   「荷風全集 第十六巻」岩波書店
   1964(昭和39)年1月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年1月26日作成
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