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人の心は旗竿より濡れて下《さが》りし
其の旗の色とてもなき襤褸《らんる》なりけり
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と唱はれたやうに動きもせぬ、閃きもせぬ。人の心は唯々腐つて行くばかりである。
然し其等近世の詩人に取つては、悲愁苦悩は屡何物にも換へがたい一種の快感を齎す事がある。白分は梅雨の時節に於て他の時節に見られない特別の恍惚を見出す。それは絶望した心が美しい物の代りに恐しく醜いものを要求し、自分から自分の感情に復讐を企てやうとする時で、晴れた日には行く事のない場末の貧しい町や露路裏や遊廓なぞに却て散歩の足を向ける。そして雨に濡れた汚い人家の灯火《ともしび》を眺めると、何処かに酒呑の亭主に撲られて泣く女房の声や、継母《まゝはゝ》に苛《さいな》まれる孤児《みなしご》の悲鳴でも聞えはせぬかと一心に耳を聳てる。或夜非常に晩《おそ》く、自分は重たい唐傘《からかさ》を肩にして真暗な山の手の横町を帰つて来た時、捨てられた犬の子の哀れに鼻を鳴して人の後《うしろ》に尾《つ》いて来るのを見たが他分其の犬であらう。自分は家《いへ》へ這入つて寝床に就てからも夜中《よるぢゆう》遠くの方で鳴いては止み、止んでは又鳴く小犬の声をば、これも夜中絶えては続く雨滴《あまだれ》の音の中に聞いた……
雨は折々降り止む。すると空は無論隙間なく曇りきつて居ながら、日が照るのかと思ふ程に明くなつて、庭中の樹木は茂りの軽重に従つて陰影の濃淡を鮮かにし、凡ての物の色が黄昏《たそがれ》の時のやうに浮き立つて来るので、感じ易い心は直様秋の黄昏に我れ知らず耽《ふ》けるやうな果しのない夢想に引き入れられる。薄曇りの空の光に日頃は黒い緑の木葉《このは》が一帯に秋の如く薄く黄ばんで了つて、庭のかなたこなたに池のやうに溜つた雨水の面は眩しいばかり澄渡り、もう大分紫の色も濃くなつた紫陽花《あぢさゐ》の反映して居るのが如何にも美しい。少しの風もないのに扇骨木《かなめ》の生垣からは赤くなつた去年の古葉が雨の雫と共に頻と落ちる。
雀の声が俄にかしましく聞え出す。するとこれが雨の晴れ間に生返る生活の音楽のプレリユウドで、此の季節に新しく聞く苗売りの長く節をつけて歌ふ声。続いて魯西亜《ロシヤ》のパン売り。其の売声《うりごゑ》を珍しさうに真似する子供の叫びが此方《こなた》から彼方《かなた》へと移つて行くので、パン売りは横町を遠
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