ろ》『吉原青楼《よしわらせいろう》年中行事』二巻の板下絵《はんしたえ》を描きしは五十前後即ち晩年の折なり。我今彼らの芸術を品評せず唯その意気を嘉《よみ》しその労を思ひその勇に感ず。
一 今の小説家筆持つ事をば労作なりと称す。推敲《すいこう》は苦心なり固《もと》より楽事《らくじ》にあらず然れども苦悶の中《うち》自《おのずか》らまた言外の慰楽の伴来《ともないきた》るものなきにあらず。文事を以てあたかも蟻の物を運ぶが如き労働なりとなす所以《ゆえん》われらの到底解する能《あた》はざる所なり。工匠《こうしょう》の家を建つるは労働なり。然りといへども鑿《のみ》鉋《かんな》を手にするもの欣然《きんぜん》としてその業を楽しみ時に覚えず清元《きよもと》でも口ずさむほどなればその術必ず拙《つたな》からず。昔日《せきじつ》の普請《ふしん》と今日の受負《うけおい》工事とを比較せば思《おもい》半《なかば》に過《すぐ》るものあらん。
一 黄梅《こうばい》の時節漸く過ぐ、正に曝書《ばくしょ》すべし。偶《たまたま》趙甌北《ちょうおうほく》の詩集を繙《ひもと》くに左の如き絶句あるを見たり。
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売文 〔文《ふみ》を売《う》る〕
売文銭稍入慳嚢 〔文《ふみ》を売《う》りて銭《ぜに》稍《いささ》か慳嚢《けんのう》に入《い》り
欲破休糧秘密方 糧《かて》を休《た》ちし秘密《ひみつ》の方《ほう》を破《やぶ》らんと欲《ほつ》す
楊子江中水雖浅 楊子江中《ようすこうちゅう》の水《みず》浅《あさ》しと雖《いえど》も
※[#「孚」の「子」に代えて「臼」、212−11]他一勺亦何妨 他《それ》を一勺《いっしゃく》※[#「孚」の「子」に代えて「臼」、212−11]《く》むに亦《ま》た何《なん》ぞ妨《さまた》げん〕
編詩 〔詩《し》を編《あ》む〕
旧稿叢残手自編 〔旧稿《きゅうこう》の叢残《そうざん》を手自《てずか》ら編《あ》み
千金敝帚護持堅 千金《せんきん》の敝帚《へいそう》を護持《ごじ》すること堅《かた》し
可憐売到街頭去 憐《あわれ》む可《べ》し 売《う》りに街頭《がいとう》に到《いた》り去《ゆ》くも
尽日無人出一銭 尽日《ひねもす》 人《ひと》の一銭《いっせん》を出《いだ》すもの無《な》し〕
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