に肉を切つて皿に取つて遣れば、妻は其の返しとして良人の為めに茶をつぎ菓子を切る、其の有様を見るだけでも、私は非常な愉快を感じ、強いて其の裏面を覗《うかゞ》つて、折角の美しい感想を破るに忍びない。
私は春の野辺へ散策《ピクニツク》に出て大きなサンドウイツチや、林檎を皮ごと横かぢりして居る娘を見ても、或はオペラや芝居の帰り、夜更《よふけ》の料理屋で、シヤンパンを呑み、良人や男連には眼も呉れず饒舌《しやべ》つて居る人の妻を見ても、よしや、最《もう》少し極端な例に接しても、私は寧ろ喜びます、少くとも彼等は楽しんで居る、遊んで居る、幸福である。されば、妻なるもの、母なるものゝ幸福な様《さま》を見た事のない私の目には、此れさへ非常な慰籍《ゐしや》ぢやありませんか。
お分りになりましたらう。私の日本料理、日本酒嫌ひの理由《いはれ》はさう云ふ次第です。私の過去とは何の関係もない国から来る西洋酒と、母を泣かしめた物とは全く其の形と実質の違つて居る西洋料理、此れでこそ私は初めて食事の愉快を味ふ事が出来るのです。』
*
『恁《か》う云つてね、金田君は身上話を聞いて呉れたお礼だからと、僕が
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