元《もと》金瓶大黒《きんべいだいこく》の華魁《おいらん》で明治の初め吉原《よしわら》解放の時小梅の伯父さんを頼って来たのだとやらいう話を思出した。伯母さんは子供の頃《ころ》自分をば非常に可愛がってくれた。それにもかかわらず、自分の母親のお豊はあまり好《よ》くは思っていない様子で、盆暮《ぼんくれ》の挨拶《あいさつ》もほんの義理|一遍《いっぺん》らしい事を構わず素振《そぶり》に現《あらわ》していた事さえあった。長吉は此処《ここ》で再び母親の事を不愉快にかつ憎らしく思った。殆《ほとん》ど夜《よ》の目も離さぬほど自分の行いを目戍《みまも》っているらしい母親の慈愛が窮屈で堪《たま》らないだけ、もしこれが小梅の伯母さん見たような人であったら――小梅のおばさんはお糸と自分の二人を見て何ともいえない情《なさけ》のある声で、いつまで[#「いつまで」に傍点]も仲よくお遊びよといってくれた事がある――自分の苦痛の何物たるかを能《よ》く察して同情してくれるであろう。自分の心がすこしも要求していない幸福を頭から無理に強《し》いはせまい。長吉は偶然にも母親のような正しい身の上の女と小梅のおばさんのような或種《あるしゅ》の経歴ある女との心理を比較した。学校の教師のような人と蘿月伯父さんのような人とを比較した。
午頃《ひるごろ》まで長吉は東照宮《とうしょうぐう》の裏手の森の中で、捨石《すていし》の上に横《よこた》わりながら、こんな事を考えつづけた後《あと》は、包《つつみ》の中にかくした小説本を取出して読み耽《ふけ》った。そして明日《あした》出すべき欠席届にはいかにしてまた母の認印《みとめいん》を盗むべきかを考えた。
五
一《ひと》しきり毎日毎夜のように降りつづいた雨の後《あと》、今度は雲一ツ見えないような晴天が幾日と限りもなくつづいた。しかしどうかして空が曇ると忽《たちま》ちに風が出て乾ききった道の砂を吹散《ふきちら》す。この風と共に寒さは日にまし強くなって閉切《しめき》った家の戸や障子《しょうじ》が絶間《たえま》なくがたりがたりと悲しげに動き出した。長吉は毎朝七時に始《はじま》る学校へ行くため晩《おそ》くも六時には起きねばならぬが、すると毎朝の六時が起《おき》るたびに、だんだん暗くなって、遂には夜と同じく家の中には燈火《ともしび》の光を見ねばならぬようになった。毎年《まいとし》冬のはじめに、長吉はこの鈍《にぶ》い黄《きいろ》い夜明《よあけ》のランプの火を見ると、何ともいえぬ悲しい厭《いや》な気がするのである。母親はわが子を励ますつもりで寒そうな寝衣姿《ねまきすがた》のままながら、いつも長吉よりは早く起きて暖い朝飯《あさめし》をばちゃんと用意して置く。長吉はその親切をすまないと感じながら何分《なにぶん》にも眠くてならぬ。もう暫《しばら》く炬燵《こたつ》にあたっていたいと思うのを、むやみと時計ばかり気にする母にせきたてられて不平だらだら、河風《かわかぜ》の寒い往来《おうらい》へ出るのである。或時はあまりに世話を焼かれ過《すぎ》るのに腹を立てて、注意される襟巻《えりまき》をわざと解《と》きすてて風邪《かぜ》を引いてやった事もあった。もう返らない幾年か前|蘿月《らげつ》の伯父につれられお糸も一所《いっしょ》に酉《とり》の市《いち》へ行った事があった……毎年《まいとし》その日の事を思い出す頃から間《ま》もなく、今年も去年と同じような寒い十二月がやって来るのである。
長吉は同じようなその冬の今年と去年、去年とその前年、それからそれと幾年も溯《さかのぼ》って何心なく考えて見ると、人は成長するに従っていかに幸福を失って行くものかを明《あきら》かに経験した。まだ学校へも行かぬ子供の時には朝寒ければゆっくりと寝たいだけ寝ていられたばかりでなく、身体《からだ》の方もまたそれほどに寒さを感ずることが烈《はげ》しくなかった。寒い風や雨の日にはかえって面白く飛び歩いたものである。ああそれが今の身になっては、朝早く今戸《いまど》の橋の白い霜を踏むのがいかにも辛《つら》くまた昼過ぎにはいつも木枯《こがらし》の騒ぐ待乳山《まつちやま》の老樹に、早くも傾く夕日の色がいかにも悲しく見えてならない。これから先の一年一年は自分の身にいかなる新しい苦痛を授けるのであろう。長吉は今年の十二月ほど日数《ひかず》の早くたつのを悲しく思った事はない。観音《かんのん》の境内《けいだい》にはもう年《とし》の市《いち》が立った。母親のもとへとお歳暮のしるしにお弟子が持って来る砂糖袋や鰹節《かつぶし》なぞがそろそろ床《とこ》の間《ま》へ並び出した。学校の学期試験は昨日《きのう》すんで、一方《ひとかた》ならぬその不成績に対する教師の注意書《ちゅういがき》が郵便で母親の手許に送り届けられた。
初めから覚悟していた事なので長吉は黙って首をたれて、何かにつけてすぐに「親一人子一人」と哀《あわれ》ッぽい事をいい出す母親の意見を聞いていた。午前《ひるまえ》稽古《けいこ》に来る小娘たちが帰って後《のち》午過《ひるすぎ》には三時過ぎてからでなくては、学校帰りの娘たちはやって来ぬ。今が丁度母親が一番手すきの時間である。風がなくて冬の日が往来の窓一面にさしている。折から突然まだ格子戸《こうしど》をあけぬ先から、「御免《ごめん》なさい。」という華美《はで》な女の声、母親が驚いて立つ間《ま》もなく上框《あがりがまち》の障子の外から、「おばさん、わたしよ。御無沙汰《ごぶさた》しちまって、お詫《わ》びに来たんだわ。」
長吉は顫《ふる》えた。お糸である。お糸は立派なセルの吾妻《あずま》コオトの紐《ひも》を解《と》き解き上って来た。
「あら、長《ちょう》ちゃんもいたの。学校がお休み……あら、そう。」それから付けたように、ほほほほと笑って、さて丁寧に手をついて御辞儀をしながら、「おばさん、お変りもありませんの。ほんとに、つい家《うち》が出にくいものですから、あれッきり御無沙汰しちまって……。」
お糸は縮緬《ちりめん》の風呂敷《ふろしき》につつんだ菓子折を出した。長吉は呆気《あっけ》に取られたさまで物もいわずにお糸の姿を目戍《みまも》っている。母親もちょっと烟《けむ》に巻かれた形で進物《しんもつ》の礼を述べた後、「きれいにおなりだね。すっかり見違えちまったよ。」といった。
「いやにふけ[#「ふけ」に傍点]ちまったでしょう。皆《みんな》そういってよ。」とお糸は美しく微笑《ほほえ》んで紫《むらさき》縮緬の羽織の紐の解けかかったのを結び直すついでに帯の間から緋天鵞絨《ひびろうど》の煙草入《たばこいれ》を出して、「おばさん。わたし、もう煙草|喫《の》むようになったのよ。生意気でしょう。」
今度は高く笑った。
「こっちへおよんなさい。寒いから。」と母親のお豊は長火鉢の鉄瓶《てつびん》を下《おろ》して茶を入れながら、「いつお弘《ひろ》めしたんだえ。」
「まだよ。ずっと押詰《おしづま》ってからですって。」
「そう。お糸ちゃんなら、きっと売れるわね。何しろ綺麗《きれい》だし、ちゃんともう地《じ》は出来ているんだし……。」
「おかげさまでねえ。」とお糸は言葉を切って、「あっちの姉さんも大変に喜んでたわ。私なんかよりもっと大きなくせに、それァ随分出来ない娘《こ》がいるんですもの。」
「この節《せつ》の事《こっ》たから……。」お豊はふと気がついたように茶棚から菓子鉢を出して、「あいにく何《なん》にもなくって……道了《どうりょう》さまのお名物だって、ちょっとおつなものだよ。」と箸《はし》でわざわざ摘《つま》んでやった。
「お師匠《っしょ》さん、こんちは。」と甲高《かんだか》な一本調子で、二人《ふたり》づれの小娘が騒々しく稽古《けいこ》にやって来た。
「おばさん、どうぞお構いなく……。」
「なにいいんですよ。」といったけれどお豊はやがて次の間《ま》へ立った。
長吉は妙に気《き》まりが悪くなって自然に俯向《うつむ》いたが、お糸の方は一向変った様子もなく小声で、
「あの手紙届いて。」
隣の座敷では二人の小娘が声を揃《そろ》えて、嵯峨《さが》やお室《むろ》の花ざかり。長吉は首ばかり頷付《うなずか》せてもじもじ[#「もじもじ」に傍点]している。お糸が手紙を寄越《よこ》したのは一《いち》の酉《とり》の前《まえ》時分《じぶん》であった。つい家《うち》が出にくいというだけの事である。長吉は直様《すぐさま》別れた後《のち》の生涯をこまごまと書いて送ったが、しかし待ち設けたような、折返したお糸の返事は遂に聞く事が出来なかったのである。
「観音さまの市《いち》だわね。今夜一所に行かなくって。あたい今夜泊ってッてもいいんだから。」
長吉は隣座敷の母親を気兼《きがね》して何とも答える事ができない。お糸は構わず、
「御飯たべたら迎いに来てよ。」といったがその後《あと》で、「おばさんも一所にいらッしゃるでしょうね。」
「ああ。」と長吉は力の抜けた声になった。
「あの……。」お糸は急に思出して、「小梅の伯父さん、どうなすって、お酒に酔《え》って羽子板屋《はごいたや》のお爺《じい》さんと喧嘩《けんか》したわね。何時《いつ》だったか。私《わたし》怖くなッちまッたわ。今夜いらッしゃればいいのに。」
お糸は稽古の隙《すき》を窺《うかが》ってお豊に挨拶《あいさつ》して、「じゃ、晩ほど。どうもお邪魔いたしました。」といいながらすたすた帰った。
六
長吉は風邪《かぜ》をひいた。七草《ななくさ》過ぎて学校が始《はじま》った処から一日無理をして通学したために、流行のインフルエンザに変って正月一ぱい寝通してしまった。
八幡さまの境内に今日は朝から初午《はつうま》の太鼓が聞える。暖い穏《おだやか》な午後《ひるすぎ》の日光が一面にさし込む表の窓の障子には、折々《おりおり》軒《のき》を掠《かす》める小鳥の影が閃《ひらめ》き、茶の間の隅の薄暗い仏壇の奥までが明《あかる》く見え、床《とこ》の間《ま》の梅がもう散りはじめた。春は閉切《しめき》った家《うち》の中までも陽気におとずれて来たのである。
長吉は二、三日前から起きていたので、この暖い日をぶらぶら散歩に出掛けた。すっかり全快した今になって見れば、二十日《はつか》以上も苦しんだ大病を長吉はもっけの幸いであったと喜んでいる。とても来月の学年試験には及第する見込みがないと思っていた処なので、病気欠席の後《あと》といえば、落第しても母に対して尤《もっとも》至極《しごく》な申訳《もうしわけ》ができると思うからであった。
歩いて行く中《うち》いつか浅草《あさくさ》公園の裏手へ出た。細い通りの片側には深い溝《どぶ》があって、それを越した鉄柵《てつさく》の向うには、処々《ところどころ》の冬枯れして立つ大木《たいぼく》の下に、五区《ごく》の揚弓店《ようきゅうてん》の汚《きたな》らしい裏手がつづいて見える。屋根の低い片側町《かたかわまち》の人家は丁度|後《うしろ》から深い溝の方へと押詰められたような気がするので、大方そのためであろう、それほどに混雑もせぬ往来がいつも妙に忙《いそが》しく見え、うろうろ徘徊《はいかい》している人相《にんそう》の悪い車夫《しゃふ》がちょっと風采《みなり》の小綺麗《こぎれい》な通行人の後《あと》に煩《うるさ》く付き纏《まと》って乗車を勧《すす》めている。長吉はいつも巡査が立番《たちばん》している左手の石橋《いしばし》から淡島《あわしま》さまの方までがずっと見透《みとお》される四辻《よつつじ》まで歩いて来て、通りがかりの人々が立止って眺めるままに、自分も何という事なく、曲り角に出してある宮戸座《みやとざ》の絵看板《えかんばん》を仰いだ。
いやに文字《もんじ》の間《あいだ》をくッ付けて模様のように太く書いてある名題《なだい》の木札《きふだ》を中央《まんなか》にして、その左右には恐しく顔の小《ちいさ》い、眼の大《おおき》い、指先の太い人物が、夜具をかついだような大《おおき》い着物を着て、さまざまな誇張
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