徴を捜《もと》めた理想的内面の芸術ともいい得よう。さればこの小説中に現わされた幾多の叙景《じょけい》は篇中の人物と同じく、否《いな》時としては人物より以上に重要なる分子として取扱われている。それと共に篇中の人物は実在のモデルによって活《い》ける人間を描写したのではなくて、丁度アンリイ、ド、レニエエがかの『賢き一青年の休暇』に現《あらわ》したる人物と斉《ひと》しく、隅田川の風景によって偶然にもわが記憶の中に蘇《よみがえ》り来《きた》った遠い過去の人物の正《まさ》に消え失《う》せんとするその面影《おもかげ》を捉《とら》えたに過ぎない。作者はその少年時代によく見馴《みな》れたこれら人物に対していかなる愛情と懐《なつか》しさとを持っているかは言うを俟《ま》たぬ。今年花また開くの好時節に際し都下の或《ある》新聞紙は※[#「さんずい+(壥−土へん−厂)」、第3水準1−87−25]上《ぼくじょう》の桜樹《おうじゅ》漸《ようや》く枯死《こし》するもの多きを説く。ああ新しき時代は遂に全く破壊の事業を完成し得たのである。さらばやがてはまた幾年の後に及んで、いそがしき世は製造所の煙筒《えんとう》叢立《むらだ
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