が、若い芸者の姿は何処《どこ》の横町《よこちょう》へ曲ってしまったものか、もう見えない。両側の店では店先を掃除して品物を並べたてている最中《さいちゅう》である。長吉は夢中で雷門《かみなりもん》の方へどんどん歩いた。若い芸者の行衛《ゆくえ》を見究《みきわ》めようというのではない。自分の眼にばかりありあり見えるお糸の後姿を追って行くのである。学校の事も何も彼《か》も忘れて、駒形《こまかた》から蔵前《くらまえ》、蔵前から浅草橋《あさくさばし》……それから葭町《よしちょう》の方へとどんどん歩いた。しかし電車の通《とお》っている馬喰町《ばくろちょう》の大通りまで来て、長吉はどの横町を曲ればよかったのか少しく当惑した。けれども大体の方角はよく分っている。東京に生れたものだけに道をきくのが厭《いや》である。恋人の住む町と思えば、その名を徒《いたずら》に路傍の他人に漏《もら》すのが、心の秘密を探られるようで、唯わけもなく恐しくてならない。長吉は仕方なしに唯《た》だ左へ左へと、いいかげんに折れて行くと蔵造《くらづく》りの問屋らしい商家のつづいた同じような堀割の岸に二度も出た。その結果長吉は遥か向うに明治
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