あった。お豊は渡場《わたしば》の方へ下《お》りかけたけれど、急に恐るる如く踵《くびす》を返して、金竜山下《きんりゅうざんした》の日蔭《ひかげ》になった瓦町《かわらまち》を急いだ。そして通りがかりのなるべく汚《きたな》い車、なるべく意気地《いくじ》のなさそうな車夫《しゃふ》を見付けて恐る恐る、
「車屋さん、小梅《こうめ》まで安くやって下さいな。」といった。
 お豊は花見どころの騒ぎではない。もうどうしていいのか分らない。望みをかけた一人息子の長吉は試験に落第してしまったばかりか、もう学校へは行きたくない、学問はいやだといい出した。お豊は途法《とほう》に暮れた結果、兄の蘿月《らげつ》に相談して見るより外《ほか》に仕様がないと思ったのである。
 三度目に掛合《かけあ》った老車夫が、やっとの事でお豊の望む賃銀で小梅行きを承知した。吾妻橋《あずまばし》は午後の日光と塵埃《じんあい》の中におびただしい人出《ひとで》である。着飾った若い花見の男女を載《の》せて勢《いきおい》よく走る車の間《あいだ》をば、お豊を載せた老車夫は梶《かじ》を振りながらよたよた歩いて橋を渡るや否や桜花の賑《にぎわ》いを外《よそ》に、直《す》ぐと中《なか》の郷《ごう》へ曲って業平橋《なりひらばし》へ出ると、この辺はもう春といっても汚い鱗葺《こけらぶき》の屋根の上に唯《た》だ明《あかる》く日があたっているというばかりで、沈滞した堀割《ほりわり》の水が麗《うららか》な青空の色をそのままに映している曳舟通《ひきふねどお》り。昔は金瓶楼《きんべいろう》の小太夫《こだゆう》といわれた蘿月の恋女房は、綿衣《ぬのこ》の襟元《えりもと》に手拭《てぬぐい》をかけ白粉焼《おしろいや》けのした皺《しわ》の多い顔に一ぱいの日を受けて、子供の群《むれ》がめんこ[#「めんこ」に傍点]や独楽《こま》の遊びをしている外《ほか》には至って人通りの少い道端《みちばた》の格子戸先《こうしどさき》で、張板《はりいた》に張物《はりもの》をしていた。駈《か》けて来て止る車と、それから下りるお豊の姿を見て、
「まアお珍しいじゃありませんか。ちょいと今戸《いまど》の御師匠《おししょう》さんですよ。」と開《あ》けたままの格子戸から家《うち》の内《なか》へと知らせる。内《なか》には主人《あるじ》の宗匠《そうしょう》が万年青《おもと》の鉢を並べた縁先《えんさき
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