》冬のはじめに、長吉はこの鈍《にぶ》い黄《きいろ》い夜明《よあけ》のランプの火を見ると、何ともいえぬ悲しい厭《いや》な気がするのである。母親はわが子を励ますつもりで寒そうな寝衣姿《ねまきすがた》のままながら、いつも長吉よりは早く起きて暖い朝飯《あさめし》をばちゃんと用意して置く。長吉はその親切をすまないと感じながら何分《なにぶん》にも眠くてならぬ。もう暫《しばら》く炬燵《こたつ》にあたっていたいと思うのを、むやみと時計ばかり気にする母にせきたてられて不平だらだら、河風《かわかぜ》の寒い往来《おうらい》へ出るのである。或時はあまりに世話を焼かれ過《すぎ》るのに腹を立てて、注意される襟巻《えりまき》をわざと解《と》きすてて風邪《かぜ》を引いてやった事もあった。もう返らない幾年か前|蘿月《らげつ》の伯父につれられお糸も一所《いっしょ》に酉《とり》の市《いち》へ行った事があった……毎年《まいとし》その日の事を思い出す頃から間《ま》もなく、今年も去年と同じような寒い十二月がやって来るのである。
長吉は同じようなその冬の今年と去年、去年とその前年、それからそれと幾年も溯《さかのぼ》って何心なく考えて見ると、人は成長するに従っていかに幸福を失って行くものかを明《あきら》かに経験した。まだ学校へも行かぬ子供の時には朝寒ければゆっくりと寝たいだけ寝ていられたばかりでなく、身体《からだ》の方もまたそれほどに寒さを感ずることが烈《はげ》しくなかった。寒い風や雨の日にはかえって面白く飛び歩いたものである。ああそれが今の身になっては、朝早く今戸《いまど》の橋の白い霜を踏むのがいかにも辛《つら》くまた昼過ぎにはいつも木枯《こがらし》の騒ぐ待乳山《まつちやま》の老樹に、早くも傾く夕日の色がいかにも悲しく見えてならない。これから先の一年一年は自分の身にいかなる新しい苦痛を授けるのであろう。長吉は今年の十二月ほど日数《ひかず》の早くたつのを悲しく思った事はない。観音《かんのん》の境内《けいだい》にはもう年《とし》の市《いち》が立った。母親のもとへとお歳暮のしるしにお弟子が持って来る砂糖袋や鰹節《かつぶし》なぞがそろそろ床《とこ》の間《ま》へ並び出した。学校の学期試験は昨日《きのう》すんで、一方《ひとかた》ならぬその不成績に対する教師の注意書《ちゅういがき》が郵便で母親の手許に送り届けられた。
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