ら、空一面に蔽《おお》い冠《かぶ》さる。すると気候は恐しく蒸暑《むしあつ》くなって来て、自然と浸《し》み出る脂汗《あぶらあせ》が不愉快に人の肌をねばねばさせるが、しかしまた、そういう時にはきまって、その強弱とその方向の定まらない風が突然に吹き起って、雨もまた降っては止《や》み、止んではまた降りつづく事がある。この風やこの雨には一種特別の底深い力が含まれていて、寺の樹木や、河岸《かわぎし》の葦《あし》の葉や、場末につづく貧しい家の板屋根に、春や夏には決して聞かれない音響を伝える。日が恐しく早く暮れてしまうだけ、長い夜《よ》はすぐに寂々《しんしん》と更《ふ》け渡って来て、夏ならば夕涼みの下駄の音に遮《さえぎ》られてよくは聞えない八時か九時の時の鐘があたりをまるで十二時の如く静《しずか》にしてしまう。蟋蟀《こおろぎ》の声はいそがしい。燈火《ともしび》の色はいやに澄む。秋。ああ秋だ。長吉は初めて秋というものはなるほどいやなものだ。実に淋《さび》しくって堪《たま》らないものだと身にしみじみ感じた。
 学校はもう昨日《きのう》から始っている。朝早く母親の用意してくれる弁当箱を書物と一所《いっしょ》に包んで家《うち》を出て見たが、二日目三日目にはつくづく遠い神田《かんだ》まで歩いて行く気力がなくなった。今までは毎年《まいねん》長い夏休みの終る頃といえば学校の教場が何《なん》となく恋しく授業の開始する日が心待《こころまち》に待たれるようであった。そのういういしい心持はもう全く消えてしまった。つまらない。学問なんぞしたってつまるものか。学校は己《おの》れの望むような幸福を与える処ではない。……幸福とは無関係のものである事を長吉は物新しく感じた。
 四日目の朝いつものように七時前に家《うち》を出て観音《かんのん》の境内《けいだい》まで歩いて来たが、長吉はまるで疲れきった旅人《たびびと》が路傍《みちばた》の石に腰をかけるように、本堂の横手のベンチの上に腰を下《おろ》した。いつの間に掃除をしたものか朝露に湿った小砂利《こじゃり》の上には、投捨てた汚い紙片《かみきれ》もなく、朝早い境内はいつもの雑沓《ざっとう》に引かえて妙に広く神々《こうごう》しく寂《しん》としている。本堂の廊下には此処《ここ》で夜明《よあか》ししたらしい迂散《うさん》な男が今だに幾人も腰をかけていて、その中には垢《あか》じ
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