く気がせわしくなる。
 蘿月は俄《にわか》に狼狽《うろた》え出し、八日頃《ようかごろ》の夕月がまだ真白《ましろ》く夕焼の空にかかっている頃から小梅瓦町《こうめかわらまち》の住居《すまい》を後《あと》にテクテク今戸をさして歩いて行った。
 堀割《ほりわり》づたいに曳舟通《ひきふねどおり》から直《す》ぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先《ゆくさき》の分らないほど迂回《うかい》した小径《こみち》が三囲稲荷《みめぐりいなり》の横手を巡《めぐ》って土手へと通じている。小径に沿うては田圃《たんぼ》を埋立《うめた》てた空地《あきち》に、新しい貸長屋《かしながや》がまだ空家《あきや》のままに立並《たちなら》んだ処もある。広々した構えの外には大きな庭石を据並《すえなら》べた植木屋もあれば、いかにも田舎《いなか》らしい茅葺《かやぶき》の人家のまばらに立ちつづいている処もある。それらの家《うち》の竹垣の間からは夕月に行水《ぎょうずい》をつかっている女の姿の見える事もあった。蘿月|宗匠《そうしょう》はいくら年をとっても昔の気質《かたぎ》は変らないので見て見ぬように窃《そっ》と立止るが、大概はぞっとしない女房ばかりなので、落胆《らくたん》したようにそのまま歩調《あゆみ》を早める。そして売地や貸家の札《ふだ》を見て過《すぎ》る度々《たびたび》、何《なん》ともつかずその胸算用《むなざんよう》をしながら自分も懐手《ふところで》で大儲《おおもうけ》がして見たいと思う。しかしまた田圃づたいに歩いて行く中水田《うちみずた》のところどころに蓮《はす》の花の見事に咲き乱れたさまを眺め青々した稲の葉に夕風のそよぐ響をきけば、さすがは宗匠だけに、銭勘定《ぜにかんじょう》の事よりも記憶に散在している古人の句をば実に巧《うま》いものだと思返《おもいかえ》すのであった。
 土手へ上《あが》った時には葉桜のかげは早《は》や小暗《おぐら》く水を隔てた人家には灯《ひ》が見えた。吹きはらう河風《かわかぜ》に桜の病葉《わくらば》がはらはら散る。蘿月は休まず歩きつづけた暑さにほっと息をつき、ひろげた胸をば扇子《せんす》であおいだが、まだ店をしまわずにいる休茶屋《やすみぢゃや》を見付けて慌忙《あわて》て立寄り、「おかみさん、冷《ひや》で一杯。」と腰を下《おろ》した。正面に待乳山《まつちやま》を見渡す隅田川《すみだがわ》には
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