継母は台所の方から出てきて、罵《ののし》りを含んだ微笑に口を歪《ゆが》めながら言った。
菊枝はその言葉がぎくりと胸にこたえた。が、彼女はちらりと睨むような視線を走らせたきり、尚も項垂れて黙り続けた。
「ようく聞いて置いでな、菊枝! 今おめえに稼ぎを休まれたら、父《ちゃん》が一人で、どうもこうもなんねえんだから……」
こう言う祖母の表情は、ことにその眼は、菊枝の心に温《あたた》かな、しかも涙ぐましい影を落とした。
「そんでもこんでも、試験を受げて見っと言うのなら仕方がねえげっとも、ほんどき、旅費も何も自分で心配《すんぺえ》しんだでや。俺は、不賛成なごどには金ば出さねえがら……」
父はこう言って煙管を敲《たた》いた。
「そんなごと無《ね》えんだから、早く稼ぎさ行ぐ支度をしてはあ……」
祖母は傍らから、庇護《かば》うように言った。
菊枝は渋々と立ち上がって、だが、すぐに山ゆきの支度にかかった。
三
菊枝はすっかり沈んでしまって、細い山路をのぼる時から、父親の踵《かかと》のあたりに視線を下ろしたきり、全く黙り続けていた。松三は、どうかしてこの不快な沈黙を破りたいと、しきりにその緒《いとぐち》を考えたり四辺《あたり》を見廻したりしていた。
草の芽はゴム細工のような、さもなければセルロイド細工のような新芽を土の中から擡《もた》げていた。エボナイトのような弾力と光沢を持った、あらゆる樹木の梢《こずえ》に群がる木の芽は、ずんずんと日|毎《ごと》にふくらんで行き、いろいろの小鳥は思い思いの音色で木の枝に囀《さえず》り廻っていた。けれども、何ら沈黙を破るべき機会を与えられなかった。
その沈黙! しかも、もの哀れな、涙ぐましい沈黙は正午になっても続いていた。松三は、母親の無い自分の子、この力無い表情を視続けることに堪えられなく思った。
「菊枝!」と、松三は突然、思い出したように彼女を呼んだ。
その時、彼等|父娘《おやこ》はちらちらと崩れかかる榾火《ほだび》を取り巻いて、食後の憩《いこ》いを息ずいていたのであったが、菊枝は野を吹く微風に嬲《なぶ》られて、ゆれる絹糸の縺《もつ》れのような煙を凝視《みつ》めて、悩ましい空想に追い縋《すが》るという様子であった。が、彼女は、父親から呼びかけられて初めて僅かに顔をあげた。
「おめえな、菊枝……」と、父親は重苦しい口
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