いが来た。今度は少年工でなく、年寄りの雑役夫だった。
「お! こちらの松島さんはよ、昨夜《ゆうべ》、夜業をして怪我《けが》をしてな。うんで病院のほうへ行ったからよ、そのつもりで心配しねえでいてくれ」
「怪我をしたんですって? ひどく怪我をしたんですか?」
「おれは見なかったんでな、どの程度だかよく知らねえが、大したことじゃあるめえて。とにかくよ、心配しねえでてくれってことだから……」
「で、その病院って、どこの病院なんでしょうね?」
「さあ? おれには分かんねえがな。とにかくよ、心配しねえでてくれってことだから……」
雑役夫の親父《おやじ》はそれだけ言って、帰っていった。彼女は雑役夫の伝えてきた夫の行動を信じなかった。自宅にも帰れないほどの怪我をしているのなら、病院の名を知らせないはずはないと思ったからだった。
彼女はその日一日じゅう、内職の手袋編みが少しも手につかなかった。そして、彼女は夫を憎んだ。結婚をしてから幾度となく繰り返された経験だった。しかし、彼女は苦しい生活のことを考えてくれずに仕事を休んでいる夫を憎んでいるのではなかった。会合のことといえば秘密にして、そういうことは女などには分からぬものと決めている夫を憎んでいるのだった。
その日の夕方、また雑役夫の親父さんが工場の帰りに寄ってくれた。
「今朝はな、おれは工場からの使いだったので本当のことを話せなかったんだどもな。松島さんのことをよ」
「今朝だって、工場から来たんじゃないんでしょう? 松島はどこかへまた、みんなを集めるんでしょう」
「うんにゃ! 人の話だども、それがひでえんだよ。うん、ひでえんだという話だよ」
「本当に、では、怪我をしたんですね」
彼女は意外だというようにして訊《き》き返した。
「それが、怪我ぐれえのとこならいいのだがよ、こちらの松島さんは機械に食われてさ、胴がまるで味噌《みそ》のようになったんでねえか! 人の話だがよ。おれは見ねんだどもな」
「そのこと、ほんとなんですの?」
彼女は胸がどきっとした。考えてみるとこの瞬間、彼女の全身の血が夫に対する愛情と生活上の問題との間を、最大急行列車のピストン・ロットのように急速度の往復運動をしたのに相違なかった。
「人の話で、おれは見ねえんだどもよ」
「そんなことを言って驚かさないでください。松島はいままで本にばかり齧《かじ》りついてい
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