んでは、これでいいが婆さん。」
 お美代は、持ち上げられて隙間の出来た布団を、上から押し付けてやった。
「死んでも忘れねえぞ、お美代。」
「寒ぐねえが、婆さん。」
「なあ、お美代、大崎さは行ぐなよ。なんでもいいから、楽の出来っとごさ行げ。俺死ぬ時、汝《にし》は、町場さ嫁にやるように遺言《ゆいごん》して死ぬがら……」
「俺、大崎など、死んでも行がねえ。婆さんは、まだ枕こんなに濡らして。」
 お婆さんの枕は、またぐっしょりになっていた。お美代は自分の手拭いを四つに折って敷いてやった。彼女の眼にも熱いものが湧いて来た。低声《こごえ》の会話の中に、鼠の走る音と、家人の鼾《いびき》の音とが折々はさまれていた。

     五

 感激が祟《たた》って、お婆さんは夜明けまで興奮し続けた。うつらうつらとまどろみかけたのは、それからであった。
「ナア! ナア!」いう細い消え入るような声で、眼が覚めた時には、短い日はもう十時を廻っていた。
 枕元には、いま障子の破れ穴から飛び込んで来た三毛が、ぶるぶるっと毛繕《けづくろ》いして、ものほしそうに鳴いていた。猫の鼻先には、粥《かゆ》の土鍋と梅干の器物が置かれてあった。廊下の日向《ひなた》には、善三が、猫の午睡所を占領していた。
「善三があ? 善三。」
 お婆さんは、低い嗄《しゃが》れた声で、障子にうつる影に呼びかけた。
 善三は、青い篠竹《しのだけ》を三本切って来て、何か拵《こしら》えようとしているのであった。昨日の午後、お婆さんから蜜柑を買って来るように言い付かって、五銭白銅を二枚持って出て行ったきり、そのままお婆さんのところへ寄り付かなかったのであったが、もうそのことも忘れているらしかった。
「昨日な頼んだ蜜柑はやあ? 善三。」
「蜜柑、どこにも、無《ね》がった。」
「蜜柑が無がったあ? ほして、銭はやあ?」
「蜜柑が無がったがら、俺、飴玉《あめっこ》買った。」
「咽喉《のど》渇いて仕様ねえがら、蜜柑買わせっさやったのに、飴玉など買って……ほして、その飴玉はやあ? 汝《にし》あ、一人で食ってしまったのがあ?」
 お婆さんは、粥鍋《かゆなべ》の方へ行こうとする三毛の足を引っ張りながら、ぶつぶつとこぼした。
「一人で食《か》ねえちゃ。貞ど菊さもやったちゃ。」
「この野郎は、ほうに、仕様のねえ野郎だ。」
 その言葉の中には、幾分の愛情が籠《こ》められていた。
「ほだって、蜜柑が無《ね》えもの……」
 善三は、一生懸命に竹を削りながら、ずるずるっと洟《はな》をすすりあげた。
「ほんじゃ、水持って来て呑ませろ。蜜柑買って来ねえ代わりに。」
「厭《や》んだ。父《おど》に怒られっから厭んだ。」
「ほんとに、この野郎まで、なんとしたごったやなあ!……」
 お婆さんの言葉には、悲壮、というような余韻《よいん》があった。
「お美代姉はやあ? 善三。」
 しばらくしてから、お婆さんは言った。
「今朝早ぐ、父《おど》と一緒に、大崎さ行ったは。」
「大崎さ? まだ行ったのが?」
 お婆さんの顔には、悲哀の表情が浮かんだ。悲哀というよりも、むしろ悲壮といいたい表情、歯を喰いしばるようにして眼を閉じたのであった。瞼《まぶた》がひくひくと微動していた。
「美代姉は、厭《や》んだって言ったの、父《おど》、行がねえごったら、首《くびた》さ、縄つけでも連《つ》せで行ぐどて。お美代姉、泣いでいだけ。」
 お婆さんは眼を閉じたまま、なんにも答えなかった。そして、しばらくしてから、独《ひと》り言《ごと》に呟《つぶや》いた。
「あのがきも、生きでるうぢは、楽など出来めえ、牛馬のように……」
 言葉は、涙に遮《さえぎ》られて、低く語尾を引いた。
 こうは言ったが、お婆さんは、お美代の身の上を哀れに思うよりも、お美代を失った自分の身の、死期までの寂しさ、すべての不自由を思わずにはいられなかった。
[#地から2字上げ]――昭和二年(一九二七年)『随筆』二月号――



底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
   1984(昭和59)年4月14日初版発行
初出:「随筆」
   1927年(昭和2)年2月号
入力:田中敬三
校正:林 幸雄
2009年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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