の顔へ日蔭をつくった。
「うむ。珍しい人が来なしたで……」
お婆さんは、遠い遠い昔の記憶を呼び起こすようにして、頬の上に微かな笑いの線をうごめかした。
「それさな。こっちの家の姉様が、こんなに大っきくなって、嫁御《よめご》に行ってるぢのだがら。」
「仙台の方さ行って、大変《おっかねえ》儲けだぢ話聞いだっけ……」
「なあにな。俺もな婆様、ひでえ長患《ながわずら》いしてしまって、儲げだ銭どこでなぐ使ってな。」
「ほうお、爺様も患《わずら》ったのがね。俺もこれ、この大《お》っき孫、嫁にやってがら、こうして床に就いたきりで……」とお婆さんは眼を閉じた。
「それに爺様も亡くなったぢね? こっちの爺様は面白い人でなあ。爺様に、頭の髪さ赤い布片《きれ》でも縛って、少しの間、廉《やす》ぐ売って歩いで見ろ――って言われたごとあったが、俺なあ婆様、そうして見だのしゃ。ほうしたら、売れで売れで、凍り豆腐は、あの爺様のでねえげ駄目だぢ評判で、随分儲げだのだげっとも……長患《ながわずら》いして、残した銭も、しっかり使ってしまって、またこうしてこれ……」
弥平爺は、声を低くして哀れっぽい調子に語尾を引いた。
「ほんでも、まだ丈夫になったようですてや。丈夫で何よりだ。」
お婆さんは、また眼を開けて弥平爺の顔を見た。
「さっきの話であ、おめえ、頭の髪も、髪さ結び付けた赤い布片《きれ》も皆鼠に喰われでしまって、ほんで駄目なったのだ――って話だっけ……」
お美代は、囲炉裏端で弥平が、人を笑わせ自分も笑おうという意識で話したこの話を思い出して、手で口を掩うて笑った。
「そう言うごとにでもしねえげ……」と弥平は、淋しい笑いを笑おうとした。併しそれは、笑いにはならずに、僅かに口辺の線が歪《ゆが》められたきりであった。
三人とも口を緘《ふう》じられた。どしんと大きな沈黙を横たえられた感じだった。お婆さんは眼を開いて弥平の老《お》い窶《やつ》れた淋しい顔に視線を据えていたが、それも長くは続かなかった。すぐまた眼を閉じてしまった。
「さあ、俺もそろそろ帰《けえ》るとするがな。」
弥平爺は、しばらくの沈黙の後、腹掛けの丼《どんぶり》を探りながら言った。そして、鞣革《なめしがわ》の大きな財布を取り出した。
「婆様、さあ、これで何が味っぽいものでも――爺の病気見舞だ。」
弥平爺は、五銭白銅貨を二三枚お婆さ
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