出来ねえぞ。部落の奴等は、なんとかかんとか言うげっとも、やはり、高木の旦那は腹が大きいなあ。偉い人だよ。」
 伝平はそう言って、馬のことは、なんでも自分でするのだった。そして、馬主の高木は、毎日のように、その馬を見に伝平の家に廻った。伝平が家にいるときには、伝平はいつでも、馬を庭へ牽《ひ》き出して、※[#「足へん+鉋のつくり」、第3水準1−92−34]《だく》を踏まして見せては高木を欣ばして帰した。伝平がいないときには、女房のスゲノが、高木を馬小屋へ案内して、それから縁側で茶を飲まして帰すのであった。
「高木の棘《とげ》野郎にあ、全く油断も隙もねえなあ。駒馬を貸して置く代わりに、伯楽から、牝馬《だんま》を奪ってるって話でねえか。伯楽も、一年からなるのに、感付かねえのかなあ。何しろ、伯楽は、馬どなるど、眼がねえからなあ。」
 部落にはまたそんな噂が立って来た。伝平は、それほど愚鈍なのではなかったが、馬のためには欺《だま》されてやる寛大な善良と狡猾を持っているのだった。併し、噂が次第に激しくなって来ると、伝平の寛大な狡猾は、寛大な善良を乗り越えて行った。
「旦那! 旦那はいるか! 談判があるから出ろ!」
 伝平はどうかすると、無理に酔《よ》っ払《ぱら》って、高木の家へそんなことを言って行くことがあった。
「南部馬がなんだって言うんだえ? 糞面白くもねえ! 今日は談判があるんだぞ!」
 伝平がそう怒鳴りながら門を這入って行くと、高木は座敷の障子を開けて、縁側へ出て来るのが常だった。
「談判があるど? 馬を返すって言うのか? いつだって構わねえ。今日にでも返してもらうさ。それから金の方も一緒に……」
「おっ! 旦那様! 今日はどうも少し酔っ払ってしまって……」
 伝平はそう言って、すぐもう折れてしまうのだった。
「談判があるなら聞こう。」
 高木はしかし睨《にら》むような眼をして言うのだった。
「談判など何もねえんでがす。ただそれ、旦那が、俺から馬を取り上げて、どこか他所《よそ》へやるっていうような噂もあるもんだから、それで酔っ払い紛れにどうも……」
「順《おとな》しい者にあ、儂だって、鬼にはなれねえぞ。併し、伯楽の方で、馬が……」
「旦那様! 旦那様の気持ちは、俺、底までわかってるから。」
 伝平はそう言って、幾度も頭をさげながら、逃げるようにして帰ってしまうのであった。
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