人ごとに、馬に就いての話をした。除隊の挨拶に廻りながらも、伝平は、部落中の馬小屋を、片《かた》っ端《ぱし》から覗いて歩いた。
「おおら! おおら! おおら!」
 そんな風に声を掛けながら、伝平は、軽く肩のところを叩いたり、無雑作に口の中から舌を掴《つか》み出したりするのだった。
 そして、それからというもの、部落の馬が、病気をしたり怪我《けが》をしたりすると、伝平は、仕事を投げ出して飛んで行くのだった。伝平はいつの間にか、幾種類かの薬品や、繃帯《ほうたい》や脱脂綿などまで持っているのであった。部落の人達も、馬で困ることがあると、すぐ伝平のところへ相談に行くようになった。伝平はすると、例えば自分の家が燃えかけているようなときでも、きっとすぐ出掛けて行くのだった。
 部落では、いつの間にか彼を(伝平)とは呼ばずに(伯楽《はくらく》)と呼ぶようになっていた。伝平はそして(伯楽)と呼ばれることが限りもなく嬉しいらしかった。部落の子供達などは、伝平を、馬の医者のように信じきっているのであった。馬の爪切り刀などまで買い求めて、農閑のおりなど、部落の馬小屋を廻って爪を切ってやったりするからであった。伝平の、馬に就いての危なっかしい知識や技術は、最早《もはや》、彼の生活を幾分かは助けているのであった。
       *
 伝平は二十三歳で結婚した。
「俺あまだ女房なんか早え。そんなことより、まず、馬を買う算段をしなくちゃ。馬のいいのを一匹飼って、それから……」
 伝平はそう言っていたのであったが、母親が眼に見えて老衰して来て、飯を炊くのにも困るようなことになったものだから、両親が否応なく押しつけてしまったのであった。
「ほう! 伯楽も、馬々って、馬をほしがっていだっけ、駒馬《こまうま》さは手が届かなかったど見《み》えで、牝馬《だんま》にしたで。」
 部落の人達はそんなことを言った。
 併し、いずれにもしろ、伝平はそれで落ち着いた。そして、それから間もなく、伝平は、一匹の馬を飼うことが出来るようになった。自分の所有になったのではなかったが、高利の金を貸している高木のところで、抵当流れとして取り上げた南部産の駒を、伝平のところへ預かったのであった。伝平の生活は再び活気づいて来た。
「立派な馬だなあ。こんな立派な馬を、俺家《おらえ》さ飼って置げるなんて、神様のお授けのようだなあ。粗末には
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