電柱に身を凭《もた》せて、寂しい気持ちでカフェの入り口に眼を据《す》えていた。そこで姉の帰るのを待っていようという気持ちが、無計画ながら伸子のなかには動いていた。
「電車が無くなるじゃないか。」
和服の青年が、大声《おおごえ》にそんなことを言って、カフェの中から駈《か》け出して来た。伸子はその向こう側の光景に驚かされて、電柱のかげへ逃げ込むようにして廻った。
「――では、今夜はこれで帰らしてあげるから、明晩、きっといらっしてよ。」
美佐子であった。逃げ出した和服の青年の後を追って、道路へ出て来てそう叫んだのは、たしかに美佐子であった。扉に片手をかけて、げらげらと笑いながらその青年を見送っているのは、たしかに美佐子であった。
伸子はひどく突きのめされた気持ちで、ふらふらとそこを歩き出した。姉の美佐子が、まさかそんなところに、そんな職業に従事していようとは想像さえ及ばなかったのだ。
七
眼が覚めて見ると、伸子は頭が痛んでいた。姉の美佐子が、昨晩とうとう帰っては来なかったので、彼女は冷たい朝飯《あさめし》を食べて学校へ出て行った。併し伸子は、ひどく頭が痛むので、二時間だけで帰って来た。寝ないでは堪《た》えられそうもなかった。
「あらっ!」
伸子は扉を開いた瞬間に、低声《こごえ》ながら、思わずそう叫んだ。誰もいまいと思ったその薄暗い部屋の中に、姉の美佐子と活動へ伴《つ》れて行ってくれたあの青年紳士とがいたからであった。――美佐子はベッドの上に腹匐《はらば》って、青年紳士はその頭のところへ立って。――青年紳士は蟇口《がまぐち》から何枚かの紙幣を掴《つか》み出してベッドの上に並《なら》べているところであった。
「じゃあ、またそのうち……」
青年紳士はそう言ってあっさりと帰って行った。
「伸ちゃんの意地悪《いじわる》! 私が誰のためにこんなことをしていると思うの? 私が好きでこんなことをしていると思うの?」
美佐子は投げつけるようにして怒鳴った。
「決して私が堕落したんでなんかないわよ。食べて行かれなければ仕方がないじゃないの? 伸ちやんの意地悪! 意地悪! 意地悪!」
美佐子は叫びながらとうとう泣き出してしまった。
[#地から2字上げ]――昭和五年(一九三〇年)『蝋人形』十二月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:しず
1999年11月15日公開
2005年12月20日修正
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