ているのと同じような感じを、伸子には与えるのだった。――だが、今度はもう帰って来てくれないような気が伸子はするのであった。新聞に、洋装をした美しい女の窃盗犯人が、常習犯として捕えられたという記事が出ていたからだった。
三
美佐子は併しその朝十時頃になるといつものようにして帰って来た。
伸子はそのとき郷里の叔母への手紙を書きかけていたのであったが、彼女はそれをポケットの中にまるめ込んでしまった。
「まあ! 姉さん! 帰ってらしゃったの?」
伸子は驚きの眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って言った。
「帰って来たわよ。」
「まあ! よく帰らしてくれたわね。」
伸子はそう言ってしまってから、大変なことを言ってしまったように思った。
「そりゃあ、帰らしてくれるわよ。伸ちゃんは、姉さんがどこへ行って泊まって来たかは知っているの?」
伸子は返事が出来なかった。併し彼女は、自分の疑惑をいっさい吐き出してしまおうかと考えた。もし姉が、自分の想像通り自分を女学校へ通わしてくれるために罪を犯しているものなら、彼女はむしろ郷里の叔母のところに帰って働いた方がいいと思わずにはいられなかった。
「子供の癖《くせ》して、変に気を廻すもんじゃないわよ。伸ちやんを幸福にして上げたいと思うからこそ、わたし、こうして徹夜までして働いているんじゃないの?」
美佐子は怒《おこ》ったようにして言った。
「姉さん!」
「? ? ?」
美佐子は眼だけを向けた。伸子は併し、何も言うことが出来なかった。
「伸ちゃん! なんなの?」
「わたし、わたし、私もう……」
伸子は急に泣き出した。
「私、田舎の叔母さんのところへ帰りたいわ。そして私自分で働きたいの。」
伸子は顔を伏せて泣きながら言った。もちろんそれは伸子の言おうとしていたことではなかった。伸子はその言葉に隠《かく》れて泣き続けた。
四
誰か軽く扉を敲《たた》いた。彼女達は同時にそのノックの音の方へ顔をむけた。その瞬間に、扉が外から開いて、洋服の青年紳士が顔を突っ込んだ。
「おい! 房子さん! まだかい?」
青年は美佐子を別の名で呼んで言った。
「あら! もう、そんな時間なの?」
美佐子はすぐに立って行った。美佐子は何もかも忘れて、暗い空気の中で伸子と話していたのだった。
美佐子はあわてていた。
「約束の時間より、一時間も過ぎているんだよ。」
青年紳士のそんなことを言う声がして、扉はバタンと閉まってしまった。そして美佐子と青年とは扉の外で囁《ささや》き合《あ》っていた。しばらくすると、美佐子だけが、微笑《ほほえ》みながら部屋の中へ這入《はい》って来た。
「会社の方なのよ。これから、活動に伴れて行ってくれるって言うの。伸ちゃんも一緒に行かないこと?」
「私、一緒に、行ってもいいの?」
「いいも悪いも無いわ。私よりも、伸ちやんを伴れて行って上げようって言うのよ。さあ! 早く支度をなさいよ。」
美佐子は急《せ》きたてるようにして言った。そして、彼女は大急ぎで顔の白粉《おしろい》を掃《は》き直《なお》しにかかった。
「随分《ずいぶん》時間がかかるんだね。」
青年紳士は、そんなことを言いながら部屋の中へ這入って来て、煙草を燻《くゆ》らし燻らし歩き廻った。
五
映画館を出たときには五時を過ぎていた。美佐子はひどくそわそわしていた。青年紳士は、ゆったりと、煙草を燻《くゆ》らしながら地面を蹴るようにして歩いた。
「伸ちゃん! ちょっと。」
美佐子は立ち止まりながら言った。青年紳士は二人を置いて前へ前へと地面を蹴って行った。
「私達ね、会社の人達と、ちょっと集まることになっているのよ。伸ちゃんも一緒に伴《つ》れて行きたいんだけど、場所が場所だから、伸ちゃんは先に帰ってよ。ね!」
伸子は、突然に突き飛ばされたような気がした。
「場所がカフェでなければ、一緒に伴れて行くんだけど……」
「いいわ。私一人で帰っているわ。」
明るい声で伸子は言った。そして二人は青年紳士の後を追って小走《こばし》った。
青年紳士は、とあるカフェの前に蒼紫《あおむらさき》のネオンサインを背負って立っていた。
美佐子はすぐにそれを見つけた。
「じゃ、先に帰ってね。」
美佐子はそう宥《なだ》めるように言って、青年紳士の立っている方へ駈《か》けて行った。青年は煙草を挟《はさ》んだ手を眼のところまで上げて、微笑《ほほえ》みながら伸子への挨拶を送っていた。
六
夜更《よふ》けになっても姉の美佐子は帰って来なかった。伸子は寂しい気がした。伸子はふらふらと街へ出て行った。靄《もや》を罩《こ》めた街を、伸子は、あのネオンサインのカフェの前まで来ていた。伸子はそこの
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