人はありませんか?」
 教師は又ぽんと地図を打った。
「地図の中央を流れている川の、水の色が変ったのであります。以前《もと》は綺麗な水が流れていたから水色になっていますが、川上に住宅地が出来てから、住宅の人達が、塵埃だの洗濯水だの、いろいろな穢いものを川へ流すので、現在では、黒い水が流れているのであります。」
「川の、水の色か? うむ。」
 教師は唸った。そして言った。
「併し、地図の上で川を水色にしてあるのは、第一の目的が(これは川だぞ)と云うしるしなので、黒い水が流れているからと云って黒く描いたら、道路か何かと間違われやしないかな? 誰か他に……」
「学校の前から、住宅地の方へ行く、真直ぐな四間道路が新しく出来たのであります。」
「学校の前から住宅地の方へ行く新道。よろしい!」
 言いながら教師は、赤い白墨で、地図の上に一本の直線を引いた。
「この新道が、去年の今頃から今日までに出来たものの一つ。それから何処かに変ったところが無いかな? さあ、誰か……」
 教師は生徒等へ微笑みかけながら言った。
「わからないかな! よしっ! じゃ一つ先生が見つけて見よう。いいか? この煉瓦色の部分だ。これは前にも言ったように、人家の建混んでいる都会の色、市街地の色なのであるから、この地図の上で、当然この色が塗られていなければならない部分に塗り落されているように思うが……誰か、わかる人?……」
「市街地は学校の前まで膨《ふく》らんで来ているのに、地図の上では、用水堀のところまでが市街地のようになっているのであります。」
「よろしい! そうだ。去年の今頃は、市街地はまだ用水堀のところまでしか膨らんで来ていなかった。そしてこの学校は、この地図の上でもわかるように、青い麦畠の真中にあった。ところが市街地は僅か一年の間に、丁度、校長先生のお腹のように、斯《こ》う弓なりに学校の前まで膨らんで来た。そしてこの小学校は、田舎の小学校だか、都会の小学校だかわからなくなって了った。」
 教師は言いながら、煉瓦色の白墨で、地図の上に一本の彎曲線を描いた。生徒等は忍び笑いをして、低声《こごえ》に囁き合った。
「騒いではいけない。さあ、此方を見て……」
 彎曲線の内部は煉瓦色で塗り潰されていた。
「ところでと、一体、どうして市街地は、斯うどんどん拡って行くのだろう? まさか校長先生のように、御馳走をどっ
前へ 次へ
全12ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング