「遊びに、いらっして下すったの?」
「…………」
 静枝は癖で、笑いながら頷《うなず》いた。
 三枝子は静枝が自分の前へ来るまで、孔雀《くじゃく》のように着飾っている絢爛《けんらん》な彼女の着物を観察した。それが三枝子には一つの驚異だった。自分と同じ社に勤めていて、殆んど同じほどの給料を貰っていて、そして夫を養いながらどこからこんな余裕が湧くのだろう? 自分をあの社に紹介して引き入れてくれたほどだから、自分より静枝の給料の方が多いには相違ないが、そんな余分のある筈はない! 自分達に比べると、母親もなく子供も無いためなのかしら? と三枝子は思うのだった。
 恵子は静枝の足|許《もと》までよたよた[#「よたよた」に傍点]と駈けて行った。
「まあ、恵子ちゃん、大きくなったのね。」
 静枝はそう言って蹲《しゃが》んだ。
「静枝さん。ゆっくりして行っていいんでしょう?」
「ちょっと失礼するわ。」
「あら! どうして?」
「廻らなければならないところがあるのよ。」
「どこへいらっしゃるんですの?」
「約束があるのよ。ちょっと、この先に。――恵ちゃん、本当に大きくなったのね。」
 静枝は恵子の肩に手を置きながら言った。
「やんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]でしょうがないのよ。」
「おばちゃんに、接吻《キッス》をして頂戴よ。ねえ! 接吻をして頂戴よう。」
 静枝は恵子の肩を軽く掴《つか》んで頬摺《ほおず》りをするようにしながら言った。
「ねえ! 接吻をして頂戴よう。厭なの! 厭ならいいわ。」
「静枝さん! 何をするの? そんなこと止《よ》して頂戴!」
 三枝子は恵子をぐっとひったくった。
「まあ! どうして?」
「――どうして? もないわ。それを私に訊《き》くの?」
「だって、あたし、わからないわ。」
「私、何も知らないと思っているの? あなたとはもう、絶交よ!」
「絶交?」
「もちろんよ――接吻泥棒《キッスどろぼう》!」
「接吻泥棒?」
「知らない!」
 併し三枝子は、驚いている恵子の手を引いて、自分の家の方へと、ゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]歩き出したのだった。――いくらでも闘ってやる!

     三 媚を売る街

 三枝子は宵から市内に出て行った。
 勝手な自分の生活を持っている夫に対しては、最早《もはや》、自分だけがその責任を負っていなければならない筈が無いと思ったから
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