、いつも善良な人間のように思われるのであるが、消極的な態度がどうかすると傲慢《ごうまん》な人間として誤解されることがあるのだ。
       *
 併し、私達一族の者の間では、それが当然過ぎるほど当然の性格とされている。誰もそれに就いて疑惑を抱くようなことは無いのだ。従兄弟《いとこ》同士が沈黙を挟んで五六時間も対座することがある。叔父と甥《おい》とが、同じ家に棲《す》んでいながら、二週間も三週間も口をききあわずに過ごすようなことは決して珍しいことではない。だがやはり、叔父は甥に対して、叔父としての極めて普遍的な愛情を抱いているのだ。自分が読んで見て面白い本であれば、それを私の机の上に載せて置いてくれた。古い腕時計が自分には不用なものになって来ると、やはり、いつの間にか私の机の上に載せて置いてくれるのであった。そして叔父は又それだけで、別に「面白い本だろう?」とも「割合に時間が正確だろう?」とも訊《き》くわけではない。私の方からもまた、それに対して「有難う」とも「面白かった」とも言ったことは無いのだ。けれども、叔父が病気で入院をすれば、私はやはり毎日その病院へ出掛けて行った。併し「どんな
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