具合ですか?」というようなことを言ったことは無かった。ただそのベッドの横に坐り続けていては帰って来るだけであった。叔父もまた、私が行ってやらないとひどく寂《さび》しがるくせに、決して「有難う」と言ったこともなければ、「もう帰るのか?」と言ったことも無いのだった。
*
私達のこういう性格は、私の妻をひどく驚かした。妻が特別おしゃべりな女だからではない。新婚当時の私は、妻から言葉をかけられると、顔を赤くして、吃《ども》りどもりそれに答えるような人間であったからだ。
併し、まもなく妻が私の性格に慣れたことはもちろんである。妻はけれども、私達一族のこの性格には、その後もしばしば驚かされるのであった。甚だしいのは田舎の伯父《おじ》である。自分の伜《せがれ》が田舎の中学を卒業して東京の私立大学へ這入《はい》ることになったので、私の家に伜を預けたというわけなのだが、伜を連れて来て、別に「置いてもらえるか?」とか「頼む」とも言わずに、何か口の中で「日比谷公園と四十七士の墓とは見て行ったらいいだろうかな?」というようなことをぼそぼそと言っただけで帰って行った。もっともその前に、私の父から、書生代わりにもなるだろうから従弟の峻《たかし》を置いてやってはどうかという手紙があったので、私達は歓迎して置いてやる意味の手紙を伯父へ書いたのではあったが、それにしても、ただ頭をさげるだけで一言も挨拶の言葉を口にしない伯父の態度を、妻はひどく驚いたらしかった。田舎から持って来た土産物《みやげもの》なども、唸《うな》りでもするかのように、「これ」とか「ほら」というようなことを口の中で言っただけで、別段それに就いて説明などはしなかったものだから、妻は「全くの唖《おし》というわけで無いんですもの、どうして食べるかぐらい、ちょっと一言《ひとこと》教えて下さるといいのに……」と言うのであった。
*
従弟の峻もまた、甚だしい沈黙家で、最初の「ではどうぞ!」という挨拶さえ言うことが出来なかったほどだ。そして朝になると、誰へ挨拶するということもなく、ごそごそと学校へ出かけて行って、夕方になるといつの間にか自分の部屋へ帰っているという風であった。私とは、何時間という間を対《む》きあっていても、互いに言葉をかけあわないのはもちろんであったが、私の妻が話しかけることがあると彼は徹頭徹尾「
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