》いて家の中へ這入りながら、こんなことを言った。この言い草は、すでに、爺は幾度も幾度も繰り返して聞かされた。それで爺は、今では、若い時分、自分が屈指《くっし》の稼人《かせぎて》だった自慢はもう決してしなくなったのである。

 平三爺は、事実、村でも屈指の稼人《かせぎて》であった。また、非常なお人よしでもあった。そして爺は、よく他人から騙《だま》された。取引をすると、きっと、損をした。他人の借金の保証人になっては、借り主の代わりに払わされたことも度々あった。そんなわけで、爺は、他人よりも余計働いたにもかかわらず、親から承《う》け継《つ》いだ財産まで、すっかり無くしてしまった。
 そのことを気にしているために、爺は、折々、伜までが自分から離れて行ったように思って、非常に寂しい気持ちになることがあった。その思いは、年を重ねるに従って、だんだん強くなって行った。伜夫婦は、何かにつけて優しくしてくれるのだが、それをさえ、爺は、その底の方に、何かしら意地の悪いものがあるように感ずることがあった。伜に戸主を譲って、一時、ほっとした気持ちになった爺は、また根《こん》をつめて働き出した。伜は、財産の少ないのを、自分が無くしたのを、面白くなく思っているのに相違ねえ。いくらでも、この穴を埋めてやらねばならないと思ったからであった。
 併し、伜の長作は、決して親の意をないがしろにするようなことはなかった。世間への体裁《ていさい》からばかりでなく、実際に、六十の坂を越してから、なお、働き続けねばならない自分の親を、彼は心の底から気の毒に思って、出来るだけの慰撫《いぶ》を心掛けているのであったが、なぜか長作は、それを露骨に現すことは出来なかったし、そういう言葉を口にすることは、なおさら出来ない性分《しょうぶん》だった。ばかりでなく、爺があまり馬鹿馬鹿しい苦労などをする時には、むしろ、罵《ののし》りに近い言葉で制《と》めることがあった。
 平三爺は、他所《よそ》の年寄り達などに比べると、自分が、非常にいたわられているということを知っていながら、伜の心の底に、意地の悪いものがあるように感じた時や、罵りに近い言葉を受けた時には、やはり、非常に寂しい気持ちになった。爺が、山茶花を大切にし、それに自分の慰めを繋《つな》ぐようになったのは、それからのことであった。その山茶花は、まだ相当にやっていた頃に、婆
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