ながら、土間に突っ立っていた。
「阿呆め! 余計な者連れて来やがって、一升餅損したぞ。そら汝等《にしら》にもやるから、くれてやった餅ばあ、早く行ってもらい返して来い。」
 おきんはそう言って、自分の子供達の手にも、二切れずつの餅をのせてやった。しかし、子供達は餅をもらってしまうと、そんな愚痴《ぐち》など聞いてはいなかった。頓狂《とんきょう》な声を上げながら戸外に待っている悪垂《あくたれ》仲間の方へ飛んで行った。
「これじゃあ、俺も、順《おとな》しくしちゃいられねえ。吉田様の歳祝いにでも行ってくるべ。」
 万は軽い興奮で言った。
「歳祝に行ったって一升餅持って帰れめえし、それより後のチャセゴの来ねえうちに早く寝た方がいい。」
「馬鹿! 一升餅くらいで、一里からの雪路《ゆきみち》、吉田様まで、誰が行くものか。俺《おれ》の欲しいの、餅なんかじゃねえ。銀の杯《さかずき》を欲しいのだ。」
「欲しくたって……」
「吉田様じゃあ、歳祝いというと、二千だか三千だか、自慢たらしく銀の杯出しゃがるから、餅の代わりにもらって来てやるべ。」
 万は炉端《ろばた》へ行って出掛ける前の煙草《たばこ》を、忙《せわ》しく吸いながら言うのだった。

     二

 万は、ほっそり戸外へ出た。
 風が少しあった。月が、黒い森に出かかって、明るい雪面の上に長い黒い影を引いていた。月光を受けている部分は銀のように白く光って、折々、西風が煙のように粉雪《こゆき》を吹き捲《ま》くっていた。
 万は暗い影の中を歩いた。何方《どっち》を見ても人影が無いので、雪の中に突っ立っては躊躇《ちゅうちょ》したが、しかし、戻る気にもなれなかった。万はまた歩いた。そこへ、左手の杉森の中から誰かが出て来た。万はまた立ちどまって待った。
「万氏じゃねえか?」
 先方からそう声をかけた。
「平六氏か。」
 万は相手の見付かったのを酷《ひど》く喜んだ。
「吉田様さチャセゴに行くべと思って出て来たんだが、なんにも芸事《げいごと》仕込んで置かなかったから、踊りでも踊れるような真似《まね》して酒飲んで来んべと思って。しかし、それじゃあんまり芸のねえ話だが、万氏の方に何か二人でやれる種はねえか。」
「俺も、種のねえのに出て来て、戻るべかと思うていたところだ。貴様が踊る真似するなら、俺あ、歌でも歌うべ。それで悪いって法はねえんだから。」
「それにもう芸を仕込んで行く奴等は、今ごろは、もうとっくに行っているから、俺等《おれら》、何も芸しなくたって、酒と餅にゃあ大丈夫ありつけるさ。」
 万と平六とは、そして雪面の上へ長い影を引きながら、粉雪混《こゆきまじ》りの静かな西風に送られて歩いて行った。

     三

 吉田家は近郷一の素封家《そほうか》だった。そして、古風な恒例は何事も豪勢にやるのが習慣だった。殊《こと》にも今年は、当主と次女と老母と、三人の厄歳《やくどし》が重なっているので、吉田家では二日も前から歳祝いの用意をしているのであった。
 しかし、今夜は、折|悪《あ》しく、西風が少し立ったので、チャセゴ取りは少なかった。昼座敷《ひるざしき》から居残っている親戚の者を入れても、五十人とはなかった。十二畳間三座敷を通して明けひろげ、一間置きくらいに燭台を置き、激しい冷気にもかかわらず障子を取りはずして、真《ま》っ昼《ひる》間のように明るいのだが、飲み飽き食い飽きてしまったように、なんとなく白けていた。
 座敷には、祝い主達の姿もなくなって、七福神の仮装《かそう》と二、三人の泥酔者が酷《ひど》く目立っていた。
「アキの方からチャセゴに参った。」
 平六は縁先から座敷の中に呼びかけた。
「何方《どっち》から参ったと?」
 酔者が怒鳴って、他の人達も一斉に振り向いたが、その中から、誰かが優しく応《こた》えてくれた。
「何を持って参った?」
「銭と金とザクザク持って参った。」
「祝いの芸は?」
 平六はそこで、廊下に上がり、手拭《てぬぐ》いを鉢巻きにして、面白可笑《おもしろおか》しく手足を振りながら座敷の中へ這入《はい》って行った。万は縁先に立って座敷の中を見廻していたが、平六の出鱈目《でたらめ》な踊りが手を叩かれている隙《すき》に、七福神の仮装の福禄寿が銀の杯《さかずき》を取って仮装のための夜着の袖《そで》の中へ持ち込んだ。万は(野郎! 先手を打っていやがる……)と思って眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。
 平六の出鱈目な踊りは、酷《ひど》く受けてしまった。一同は平六から眼を離さなかった。その中で万だけは、仮装の福禄寿の方を視詰《みつ》め続けていた。すると福禄寿は、またも銀の杯を袖の中に持ち込んだ。その時ちょうど誰かが、万の方に声をかけた。
「次に続く太夫《たゆう》の芸は?」
「はっ
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