手品
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)廻《まわ》る。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)山|襞《ひだ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。
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   口上

 雪深い東北の山|襞《ひだ》の中の村落にも、正月は福寿草のように、何かしら明るい影を持って終始する。貧しい生活ながら、季節の行事としての、古風な慣習を伝えて、そこに僅かに明るい光の射すのを待ち望んでいるのである。併し、これらの古風な伝習も、そんなにもう長くは続かないであろう。
 それらの古風な慣習の一つに「チャセゴ」というのがある。正月の十五日の晩には、吹雪でない限り子供は子供達で、また大人は大人達で、チャセゴ[#「チャセゴ」に傍点]に廻《まわ》る。子供達は、宵《よい》のうちから、一団の群雀《むらすずめ》のように、部落内の軒から軒を(アキ[#「アキ」に傍点]の方からチャセゴに参った。)と怒鳴って廻《まわ》るのだが、すると、家の中から(何を持って参った?)と聞き返すのである。子供達はそこで(銭《ぜに》と金《かね》とザクザクと持って参った。)と一斉に呼び返す。そこで、二切ればかりずつの餅が、子供達各自の手に恵まれるのである。
 大人達のチャセゴは、軒々を一軒ごとに廻るのではなく、部落内の、または隣部落の地主とか素封家《そほうか》とかの歳祝《としいわ》いの家を目がけて蝟集《いしゅう》するのであった。それも、ただ(アキの方からチャセゴに参った。)というばかりでは無く、何かと趣向を凝《こ》らして行くのである。歳祝いをする家でも生活が裕《ゆたか》なだけに、膳部を賑《にぎ》やかにして、村人達が七福神とか、春駒とか、高砂《たかさご》とかと、趣向を凝《こ》らして、チャセゴに来てくれるのを待っているのである。

     一

 子供達が飛び出して行ってしまうと、薄暗い電燈の下は、急にひっそりして来た。
「チャセゴの餓鬼《がき》どもが来んべから、早くはあ寝るべかな。」
 妻のおきんは榾火《ほだび》を突つきながら言った。
「馬鹿なっ! そんなことは出来るもんでねえ。我家《われえ》の餓鬼どもだって行ってるん
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