荒雄川のほとり
――私の郷土を語る――
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)玉造《たまつくり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)宮城県|玉造《たまつくり》郡

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]――昭和五年(一九三〇年)『新文藝日記』(昭和六年版)――
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 私の郷里は(宮城県|玉造《たまつくり》郡|一栗《いちくり》村|上野目天王寺《かみのめてんのうじ》)――奥羽山脈と北上山脈との余波に追い狭められた谷間《たにあい》の村落である。谷間の幅は僅かに二十町ばかり。悉《ことごと》く水田地帯で、陸羽国境の山巒《さんらん》地方から山襞《やまひだ》を辿《たど》って流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地を潤《うるお》し去っている。
 南方の丘陵は、昔、田村麻呂将軍が玉造柵を築いたところ。荒雄川の急流を隔てて北方の蝦夷《えぞ》に備えたのであろう。後に、伊達正宗の最初の居城、臥牛《がぎゅう》の城閣がこの丘の上に組まれ、当時の城閣を偲ばせる本丸の地形や城郭の跡が今でも残っている。
「栗駒お
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